昭和の風景 レンゲ畑、おまけ

 インターネットで見かけた記事(↓)からの雑感を前項に書いた。

レンゲ畑にバス乗り付け、園児ら遊ばせた? 農園が困惑「種を買って米の肥料として育てています」

 畑一面のレンゲの花に感動し、つい入りたくなる気持ちも、そこで子供たちを遊ばせてやりたくなる引率の人の気持ちもわかる。それで思い出したこと。

 春、菜の花が一面に咲く場所、ただし私有地に入ってスマホで写真を撮るなどされて迷惑している、という当事者の訴えがメディアに取り上げられることがある。立札やロープを張るなどしても効果が少なく、交通の障害になることもあるらしい。

 菜の花畑に立ち入っている人たちにメディアが取材すると(この場合テレビ報道を見たのだが)
「せっかく来たから写真を撮りたい」
取材者側が注意書きやロープなどの存在を指摘すると
「あー、気づかなかった」
「ほかの人も入ってるし」
とさほど悪びれたふうでもない。

 こんな報道に触れると溜息をつきたくなる。

 菜の花畑に立ち入っているほとんどの人は、菜の花を撮る、眺めるというより、菜の花をバックに自撮りしている。自分がこんなすばらしい風景の中にいること、あるいはその景色にいる自分を強調したいように見える。その写真はSNSに上げるのだろう。つまりはミーイズムではないの?

 他の人に迷惑をかけないこと、周囲に気を配ることは、昭和(まで)のしつけの基本だった。それは「」つきの忖度や同調圧力とは別のものだ。お互い様の意味を知って、実践できることが前提だったからこそ、社会はある程度円滑に動き、たまにそこから外れることも許された。それが昭和(まで)の風景だったのでは?

 自由は尊いし、個々の権利も尊重されるべきだ。だが、他者の自由と権利も同じように尊い、という部分の教育や発信が足りないように思う。

 まあ、こんなのも昭和のオバサンの愚痴と片づけられるのが関の山か。

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