文字を持たなかった昭和 帰省余話5~おみやげ

 昭和中期の鹿児島の農村を舞台に、昭和5(1930)年生まれのミヨ子さん(母)を中心に庶民の暮らしぶりを書いてきた。

 そのミヨ子さんに会うべく先ごろ帰省した折りのできごとや気づき、会えなかった1年半近くの間の変化などを、「帰省余話」と題して書き連ねている(1~体調2~食いっぷり3~理解力4~几帳面)。本項は帰省の振り返りとしておみやげについて。

 帰省のお土産にはけっこう気を使う。もう実家は更地にしてしまったので――それゆえに、ミヨ子さんは息子の和明さん(兄)一家と暮らしているのだが――、自分もそこに泊めてもらうし、何よりふだんからミヨ子さんのことを見てもらっていることへの感謝も込めたい。そこで、兄一家全体へのおみやげとしてのお菓子類以外に、なにかと理由をつけて個々人へのおみやげを複数ずつ用意するのが常だ。

 また、毎回ではないが親しい親戚や、旧知の友人などに会うこともある。今回は久しぶりの帰省だったこともありおみやげが膨大な量になってしまい、事前に大きな段ボールを二つ送ることになったため、荷造りだけでも一仕事だった。

 肝心のミヨ子さんへのおみやげは、薄手のキルティングのベストにした。娘から母への折々の贈り物について、お義姉(ねえ)さんから「服は結局同じものしか着ないから、食べ物がいいんじゃない?」とアドバイスされることが多いのだが、今回は「薄手のベストなんかはいいかも」と言われたこともあり。

 ちょうどユニクロで冬物のセールを行っており、ミヨ子さんが好きそうな色のものをチェックしたところでもあった。そのベストはユニクロでは珍しい紫がかった臙脂色だった。ミヨ子さんは紫系の服が好きなのだ。

 着いた日の夕食が一段落した頃。おみやげを披露することにして、ひとつずつ解説(!)しながら渡していき、最後にミヨ子さんにベストをあげた。
「あら、いい色。軽いし」
と喜んでくれたし、翌日のお出かけもそれを着て行ってくれて、二三四(わたし)もほっとした。時間をかけていくつかのお店を見て回った甲斐があったというものだ。

 が、好事魔多しというか。何が起きたのかは追って。

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