最近のミヨ子さん(白い靄の中)

  昭和中~後期の鹿児島の農村。昭和5(1930)年生まれのミヨ子さん(母)の来し方を中心に、庶民の暮らしぶりを綴ってきた。たまに、ミヨ子さんの近況をメモ代わりに書いている。

 認知機能が低下してきたミヨ子さんによい刺激を与えられないかと、一時期は週1回のペースでなんらかの接触を試みた。具体的にはビデオ通話とハガキや手紙での通信を交互に行う、というやりかたである。しかし、最近の郵便事情では首都圏から鹿児島まで下手すると1週間近くかかる。この方法だと、ビデオ通話した翌日にはハガキなどを出し、次の通話の数日前にはスマホを使わせてもらう義姉に「予約」をするというサイクルになり、あわただしい。(もちろん毎日お世話してくれている義姉に比べればたいした手間ではないのはわかっているが…)

 無理しても長続きしないので、今年に入ってから通話は月1回ペース、ハガキ類は適当に出すことにした。

 その通話の機会が最近あったので当日のミヨ子さんの様子を記録しておきたいが、当日ミヨ子さんと通話する前に義姉がしてくれた印象的な話を書いておく。

 それは、ミヨ子さんの近況を尋ねたわたしに言った「頭の中はまっ白かも」という一言だ。

 わたしは瞬時に腑に落ちた気分がした。頭の中は靄がかかっていて、そこに誰かの呼びかけ(会話)やテレビなどの映像や音声が入ってきても、それが何なのか、うまく捕まえられ(認識でき)ない。それを捕まえたとしても、頭の中にあるはずのほかの記憶や情報とうまくつなげられない。そうこうするうち、さっきあったはずのものがわからなくなっている。

 記憶もしかり。ふと浮かんだ記憶は単体のものが、それが何なのか、なぜそれが頭にあるのかがわからない。考えているうちに(考えていないかもしれない)それも消えてしまう。

 ほとんどのもの・ことは、白い靄の中にスポットで浮かんでは、消えていく――。という感じなのではないだろうか。

 率直に言って、noteを始めたつい2年前に比べても、ミヨ子さんの認知機能の低下は顕著だ。離れて暮らしている分よけいにそう感じるのかもしれないが、とくにこの1年、半年と低下の角度は大きくなった印象がある。

 同居する兄は、ミヨ子さんと会話していてどうしても説明したり修正したりしようとするようだが、
「母親と思えばこそしっかりしてほしいんだろうけど、『認知症のお年より、と思って接するしかないよ』と言ったりしてる」
と、義姉は少し距離のある立場ならではの分析をしている。そうなのだろうと思う。

 とは言っても、日々の生活の中で「なんでこんなことをしてくれるの」「こうしてくれないの」という場面はたくさんあるだろう。それを淡々とこなしている義姉は本当にすごいと思うし、頭が下がる。なにより「先が見えない」ことはいちばん堪えるはずなのに。

 認知機能のことを除けば、ミヨ子さんは食欲も旺盛で元気だという。一時期――昨秋の帰省で無理をさせた頃――脚力が弱って心配したが、その後デイサービスで歩行器を使った歩行練習を続けているようで、最近は室内なら杖なしで歩けるらしい。骨粗鬆症改善のためのカルシウム投与を続けているのも効果があるのかもしれない。

 さように体が丈夫なほど、認知機能とのギャップが際立ち、家族には頭が痛い。「何がわからないのかもわからない」のは本人には幸せなことで、その点は神様に感謝しているが、現実を引き受ける兄夫婦のことを思うと、晴ればれした気持ちになれないのもまた確かなのだ。

 

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