文字を持たなかった昭和 百二(でふっどん――台所の神棚)

 「竈(かまど)」そして台所については何回か触れた。農家の嫁であるミヨ子にとって台所は、一日になんども出入りし、ご飯の支度をしたり保存食品をこしらえたりする、根城のような場所だった。

 その台所の天井に近い一角には、煤ぼけた小さな箱のようなものがあった。竈で薪をくべるので、煤ぼけるのはしかたがないとして、この「箱」は神棚だった――ということを、わたしはずいぶんあとになって思い至った。

 正面は扉がなく開放されていて、上部は屋根のように板を斜めに貼ってあった。手前には小ぶりの榊立て(さかきたて)が置かれていた。高いところにあるため、下からは榊立てぐらいしか見えないのだが、中には「大麻様」つまり天照大神のお札が納められていた。

 そのほか、どこからか出てきて、あるいは誰かから譲り受けて「これは大切なものだ」と舅の吉太郎か姑のハルが思ったのだろう、古銭を紐に通したものもあった。それから、これまたどこにあって誰が納めたのかわからない、何かのお面も。どれも「箱」同様に煤ぼけていた。

 あまりに煤ぼけているので手入れしていないようにも見えたが、ミヨ子かハルが思い立ったときに庭の榊の木の小枝を切り、榊立ての榊を生けなおした。ついでに陶製の榊立てを磨くこともあった。秋が深まるころには、土地の神様――近隣では八幡様を祀っていた――の世話役当番が、大麻様を新しくするための希望を募りお札のお金を集めて回った。新しいお札が届くと古いお札と交換した。

 この神棚をミヨ子たちは「でふっどん」と呼んでいた。「どん」が「殿」なのはわかるとして、前半の「でふっ」は何か? 「大福様(だいふくどん)」のほうが近い気がするが、中に納めてあったお面は「大黒様」のようにも見えた。ちなみに「大根」を鹿児島弁風に縮めていうと「でこん」になる。か行の音が「F」音に変化する法則があるのだろうか。

 ミヨ子たちが朝晩拝む習慣があったのはお仏壇のほうで、「でふっどん」を日々拝んでいたわけではない。しかし、たとえば餅をついたときや、「あく巻き」などの節句菓子、お正月の雑煮を作ったときは、お仏壇のほかに「でふっどん」にも一人分お供えしていた。やはり神棚も生活から切り離せない存在だった。

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