文字を持たなかった昭和530 野菜(3)エンドウ豆③「豆ん飯」

 昭和の鹿児島の農村を舞台に、昭和5(1930)年生まれのミヨ子(母)の来し方を軸にして庶民の暮らしぶりを綴っている。

 もうしばらく老境に入ってからのミヨ子について述べることにして、ミヨ子の野菜作りや野菜を使った料理について書き始めた。一つ目は「エンドウ豆」、毎年春になると庭先の畑にミヨ子が植えたエンドウ豆(グリーンピース)がたくさん実ったこと、エンドウ豆をミヨ子は「ぶんず豆」と呼んでいたことを述べた。

 エンドウ豆を見かけると二三四(わたし)は豆ごはんを炊きたくなる。いちばん手軽ということもあるが、豆の味がダイレクトに味わえるし、見た目も豆の存在感が際立つからでもある。何より、ミヨ子がエンドウ豆を使って作ってくれた料理の筆頭は、やはり豆ご飯だった。

 おいしい豆ご飯は難しい。いや、家庭や作る人それぞれに流儀があって、食べ慣れた味がいちばんおいしく感じるのかもしれない。

 ミヨ子の豆ご飯は、ご飯を炊き始めるときエンドウ豆も入れてしまうやり方だった。炊きあがったご飯の中の豆は緑色が少し褪せていたが、しっかり火が通っていて、柔らかい分味わいも深かった。豆と同時に塩も入れる。分量が少し多めで、豆ご飯だけで何杯も食べられた。

 豆が柔らかいので、ご飯を蒸らすのに混ぜるとき豆を潰してしまうこともあるが、豆の味が混ざったご飯もまたおいしい。潰れているかどうかを問わず、豆が多めの部分がよそわれると、家族の誰もがうれしがった。その分、ミヨ子は自分のお茶碗には豆が少ない部分のごはんをよそったりもした。

 豆ご飯は鹿児島弁で「豆ん飯」だ。「豆の飯」が転訛して「まめんめし」なのだが、「まめんし」のように後ろの「め」にアクセントが置かれる。短縮が好きな鹿児島弁、とくに男性が力強く話すときは、最後の「し」が促音に近くなってほとんど聞こえないこともある。

 豆ご飯が炊かれると、エンドウ豆のちょっと硫黄臭いような独特の匂いが台所に立ち込める。ご飯の支度のために先に田畑を引き上げるミヨ子から、数時間遅れて帰ってきた夫の二夫(つぎお。父)は、豆の匂いに気がつくと
「今夜は 豆ん飯か!」
と相好を崩した。

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