文字を持たなかった昭和 五十一(耕運機)

 ミヨ子の嫁ぎ先ではミカン山の開墾が続き、機械による動力を導入したほうがいいのでは、という考えになりつつあったが、舅の吉太郎は「まだまだ人の手でやれる」という考えだった(五十(機械化)。

 しかし、父親と違い社交的で、農協や集落の青年団でのつきあいも多い夫の二夫(つぎお)は、折々に入ってくる情報から、農業の将来と自分なりの経営を考えていた。なにより、老境に差し掛かりつつある両親に、労働力の中心として頑張ってもらえる期間はそう長くない。もちろんそんなことは口に出せないが。
「耕運機の代金は、俺たちが何とか頑張って払うから」
そう言って父親を口説き落とした。

 ほどなくして、二夫の家に初めての機械、ミヨ子にとっても人生で初めての農機がやってきた。「日ノ本」という老舗ブランドの耕運機である。エンジンを格納した操作部はオレンジ色のスチールに覆われ、これから経営していくミカン山に相応しい気がした。当時は農業用軽車輛の運転に免許は要らず、元々機械操作が得意だった二夫〈60〉はすぐに操作と運転をマスターした。

 これにより、ミヨ子たちの農作業は格段に効率が上がり、身体的な負担も大幅に減ることになった。

〈60〉わたしの父二夫はまだ学生だった戦時中特攻隊に志願した。これについては二夫の生涯についてまとめる際に改めて書きたい。

※耕運機とその普及については、農機具メーカー各社の社史ページ、中古農機具の売買サイト等を参考にした。

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