文字を持たなかった昭和 六十六「身が絞る(鹿児島弁)」

 母ミヨ子の腎盂炎に関連して思い出したこと。

 夏場の田の草取りなど、厳しい環境下で体力を消耗する農作業をしたときなど、ミヨ子は「身が絞る」と言うことがあった。子供のころのわたしはその意味がまったくわからなかったが、中学に入って体育系の部活に入り、練習がきつくて消耗したときに、トイレに行って小用を足してもすぐにまた行きたくなる、という経験をした。その症状をミヨ子に訴えると、それが「身が絞る*」ということだ、と教わったのだった。

 排尿時の痛み、排尿後の不快感や頻尿といった症状は一般的に細菌性の尿道炎や膀胱炎で、免疫力が低下しているとき、つまり疲れているときに起きやすい。もちろん病院に行けば抗生物質を処方される。だが、水分を多めに接種して排尿を促すとともに体力を取り戻せば自然に治癒することも多い。めったに医者にかからない農民たちはそれを経験的に知っていただろうし、その知恵は受け継がれてもいたことだろう。

 ミヨ子はわたしに「卵を飲んでおきなさい」と言うと、生卵を2個ほどお椀に割って、多めのお酢をかけて手渡したものだった。食感があまり得意でないうえ、むせるほどのお酢がかかった生卵をがまんして飲み込み、体を休めるように気を付けておくと、「身が絞る」感覚はほどなく消えてくれた。

 あとで思えば、父の二夫(つぎお)もまれにだが生卵に酢をかけて飲むことがあった。やはり「身が絞」ったか、「身が絞る」のが予想されるほど疲れたときだったのか。ただ、卵はけして安くなかったので、一人で1回に2個も使えるほど手軽な栄養品でもなかった。

 ちなみに、わたしが育った地域ではお刺身も酢醤油で食べていた。酢に殺菌作用があることを体験的に知ったうえでの習慣だったと思われる。卵のような、栄養はあるが生では食中毒の危険もある食品を摂取するのにお酢をかけたのも同じ理由だろう。 

*「身が絞る」は鹿児島で広く使われているかどうかは未確認。わたしが育った地域での言い方かもしれない。相当する準語が思い浮かばないので「小用を足してもすぐに行きたくなる」と長々言い換えるしかなかった。排尿時の独特な痛みやすぐにまたトイレに行きたくなる不快感は「身(内臓)を絞る」という表現がぴったりだと思う。

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