明治の(?)習慣 電気をつけない

 「文字を持たなかった明治―吉太郎」と題して、祖父・吉太郎について述べてきている。このところは明治から大正期に作製された戸籍(除籍謄本)とにらめっこしながらの作業でいささか疲れてきたので、気分転換する。と言っても、吉太郎と関係があるのだが。

 わたしは夜の室内が昼間のように煌々と明るいのは、あまり好きではない。慣れている室内なら多少暗くてもかまわない。廊下を歩く、洗面所で定位置にある物を取る、あるいは置くぐらいなら、いちいち照明を点けなくても平気だ。そもそもが狭い家、電源を都度オンオフするのも面倒だ。

 そんな暮らしの中でふと思い出した。

 吉太郎も「電気」(照明)を点けたがらない人だった。吉太郎の動機は「電気代がもったいないし、電球の寿命も短くなる」というもの。つまり倹約家だったのだ。いや、はっきり言えばケチだった。しかし若いころからそういう心がけでコツコツと貯めたお金で、屋敷を買い、田畑や山林を買い広げてきたのだ。倹約は吉太郎の生活の一部、人生そのものでもあった。

 「電気をつけたがらない」についてはこんなエピソードがある。わたしがうんと小さいころに、それまで台所の土間の一角にあった五右衛門風呂が風呂場へと「独立」し、風呂釜を換えタイル張りにした。同時に照明――と言っても裸電球――もつけた。このとき吉太郎は「電気がなくても体は洗えるのに」と文句を言ったという。お湯をかぶり勘で体を洗うぐらいなら、なるほどあまり明るくなくても用はすむかもしれない。そもそも当時、お風呂は毎日入るものでもなかった。

 そう言えばやはり当時トイレは外便所だったが、ここにも照明はなかった。毎日使う場所だから入ったあとの「位置関係」は体に染みついている。そこが把握できてさえいれば、夜暗くても「失敗」、つまり「べきでないところ」に落としたり濡らしたりはめったにない、ということだったのか。だいたい外便所自体それほど衛生的ではなく、多少汚れていてもかまわないものではあった。

 もちろん、灯りのない浴室もトイレも衛生的とは言えない。汚れが落ちたかや、自分の体の状態もよく見えない。それらはちゃんと見えるほうがいいに決まっている。

 しかし一方で、明治か下手すると昭和の半ばくらいまでの農山村や漁村、場合によっては都市部の一部でも、人々の多くは十分な照明がない中でも丈夫に暮らしていた、ということになる。(ただし、当時は衛生状態の不備からくる疾病や乳幼児の病気が多かったのも事実だ)。

 吉太郎の生前、わが家では照明のオンオフはかなりこまめに行っていた。わたしも、「電気(照明)は要るときだけ点ける」を徹底していた。どのみち家の中は勝手がわかっているのだ。本を読んだり勉強したり以外では、そんなに明るくなくてもやっていけた。そうやって、いまのわたしがある。

 ということは、わたしの一部に祖父の吉太郎が生きている、と言えなくもない。

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