文字を持たなかった昭和 お正月の番外――冬休みの友
年始からこのかた、昭和中期の鹿児島の農村で、昭和5(1930)年生まれのミヨ子(母)が過ごしたお正月の様子を書いてきた。
本項ではちょっと趣旨を変えて「冬休みの友」について。
「冬休みの友」は「夏休みの友」同様、学校の長期休暇中の在宅学習用に配付されていた教材、ひらたく言うと宿題で、いろいろな科目の問題や解説、自由研究のヒントなどが記載されていた。お正月を挟むこともあり、年末年始の行事の由来や書初めのお手本なども載っていたと思う。
日数が短いため「夏休みの友」よりもページ数が相当少ない(見た目が薄い)ことはもちろん、イベントシーズンゆえか学習色が薄めで、回答を書き込まなければならないページも少な目であることは、子供にとってありがたかった。
結果的に「夏休みの友」のように休暇の最終日近くに、たくさん残った空欄に半泣きになって取り組まなくてもよく、むしろ休みの初めのほうでちゃちゃっと済ませてしまえば、お正月をゆっくり過ごせた。
そんな「冬休みの友」はいまもあるのだろうか? と思ってネットで検索したら、ウィキペディアにすら「夏休みの友」はあっても「冬休みの友」はなかった。地方の教育委員会によってはいまも配付しているようだが、全国共通ではない。2022年の冬休みを前に配付しているのが明らかなのは、山梨県と福井県だけのようだ。あとは古書店の在庫がヒットする。それも昭和20年代、せいぜい50年頃までのもの。
どうやら「冬休みの友」は戦後全国(の小中学校)で配付されたが、高度成長期以降徐々に姿を消したようだ。製作は最初から各都道府県の教育委員会単位、つまり地方によって内容が違っていた。どうりで田舎の子供にも、全国版の学習雑誌に対して感じるような違和感が少なかったわけだ。
昭和の時期、自分の口から語る言葉、書き記す言葉を持たなかった人びとの記録としてnoteに書くことを始めた。「冬休みの友」もひっそりと姿を消した「ひとり」だった。
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