文字を持たなかった昭和 百七十五(男性の育児参加)
昨日の「つぶやき『炎上CMでよみとくジェンダー論』より」で、「大上段からジェンダー論を語(られ)ることは苦手」と言いながら、中国男性の家事参加などをそれこそ大上段から語ってしまった。
同書について書きたくなったのは、件(くだん)の中国関係の箇所もさることなら、取り上げられている味の素のCM(の説明)から思い出した光景があるからだ。
CMの画像では、共働きで出勤前のお父さんとお母さんが、通園前の2人の子供の着替えを手伝うカットが入っているらしいが、お父さんが登場するのはほとんどこの場面のみだという。このため作者は、CMの意図は「仕事も家事も育児も」がんばる女性を応援する作りになってはいるが、男性の家事参加を促してはいない、と分析する。わたしはCMを見ていないのでなんとも判断できないが、作者の指摘は当たっているのだろう。
わたしが思い出したある光景というのは、母ミヨ子の上の妹一家が「里帰り」したときのことだ。5人きょうだいの長女で、生まれた集落の中で嫁いだミヨ子の元へは、きょうだいたちが里帰りのたびに訪れていた。
上の妹の勝代――名前のとおり終戦前に生まれた――は、中学卒業後広島県福山市の工場へ集団就職し、職場結婚した。夫となった和男さんは穏やかな性格で、ふたりの娘にも恵まれ、勝代は職場を変えて働きながら、平穏で経済的にも安定した生活を営んでいた。
子供どうしの年が近いため、勝代たちはミヨ子の嫁ぎ先(つまりわたしの家)に家族全員で泊まりにくることもあった。ある朝、一家が出かける支度をしている様子を見て、ミヨ子は驚いて言った。
「和男さんが子供たちの着替えをさせてくれるの? 勝ちゃんは自分の化粧だけ…。あんたたち、ふだんからこうなの?」
勝代は化粧を続けながら、すっかり板についた広島訛りで答えた(再現は難しいが)。
「いつもこうよ。わたしも働いているんだし、朝は忙しいもの。子供らのご飯も食べさせてくれるわよ」
いかにも昭和40年代風のメリハリのきいた化粧を施して別人のようになった勝代は、外出着に着替えて4人で出かけていった。
勝代について語るとき、ミヨ子はしばしばそのできごとを付け加えたものだった。いくぶんかの批判的なニュアンスも込めて。なにせ、男(父親)が育児に参加するなど、ミヨ子には「考えられない」ことだったのだから。いまでいう「ワンオペ」の家事育児は当たり前で、地方の農家の場合舅姑の世話は言わずもがな、長男の嫁の場合は夫のきょうだいや親戚が同居していることもままあった。もちろん、田畑仕事もこなしたうえで、である。
勝代は勝代で、農家と違って時間に追われる都市部の核家族生活、誰が子供たちの世話を見てくれるわけでもなく、すべて夫婦だけで解決しなければならない、男性が協力するのは当たり前、と言いたかっただろう。
ただし、和男おじさんはほんとうに穏やかで、勝代おばさんの尻に敷かれているようにも見える一方で、そのことを幸せに感じている雰囲気があった。つまり、和男さんは「好きで」子供たちの世話をしており、まったく苦に感じていなかったのだと思う。
人の気持ちを先回りして読み相手を「立てる」、相手の負担を減らす方向に考えるミヨ子と、元々開放的なところへ都市部での「近代的」生活に慣れた勝代の性格の違いもあった。わたしとしては、大人になったいま、母親と叔母、どちらの気持ちも理解できるように思う。