文字を持たなかった昭和 六十五「寝るほど楽はなかりけり」

 母ミヨ子はそれほど丈夫ではなかったことを書いていてふと思い出した。寝込むほどではないがごろごろしている姿をときどき見かけたことを。

 昼寝の時間帯であれば気兼ねなく横になれただろうが、たとえすることがなくても、舅たちや夫の目があるところでごろごろするのは気が引けた。というより、嫁の立場では「やってはいけない」ことだと認識しているように、子供の目にも映った。だからミヨ子が畳の上でごろ寝するのは、時間と状況が許せば、が前提だった。さすがに娘のわたし前だけでは、気楽にしているようだったが。

 横になるときのミヨ子の口癖は「ちょっとだけごろんとしようかね*」であり、続いて「世の中に寝るほど楽はなかりけり」と言った。ときに下の句の「浮き世の馬鹿は起きて働く」〈69〉も続けて、自嘲的に笑うこともあった。いつ、どこでこんなしゃれた狂歌を覚えたのかは知らない。やはり口伝で知った誰かから聞いて覚えたのかもしれない。いずれにしても上の句の部分は、当時の――というより結婚以来変わらない――ミヨ子の実感だったのではないだろうか。

 疲れを知らず好奇心も旺盛だった子供の頃のわたしは、「世の中に寝るほど楽はなかりけり」と横になる母親を不思議な思いで見ていた。寝る以外に楽しみはないのだろうか、と思いつつ。

 しかし、自分自身が当時のミヨ子の年齢を過ぎ、若い頃より疲労のスピードが速く、回復のスピードは遅くなったいまは「とりあえず横になりたい」と思う気持ちがよくわかる。ミヨ子はいつも何かしら体を動かしていたから、いつも疲れていたのではないだろうか。

 それにもっと早く気づいてあげられればよかったと、苦い思いが胸を過る。
 
*鹿児島弁:「いっとっ、よっころぼかい(一時、横転ぼうかい)」=ちょっとだけ、横になろうかしらね。
〈69〉「世の中に寝るほど楽はなかりけり浮き世の馬鹿は起きて働く」江戸天明期の文人・大田蜀山人(南畝)作

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