【パニック障害】もうやだーー!!😭パニック障害のバカーー!!

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今の私に必要なことは、
本当の意味の「愛」を極めること、つまり、全てを受け入れる力、許す力を伸ばすこと、器を広げていくこと、恐怖や無価値感や罪悪感というトラップに気づく賢さを身につけること、そして自分の中にあるものや湧き上がってくるものをジャッジすることなくどんどんアウトプットすること。

これから書いていくのも、アウトプットの一環です。
(長くてまとまりがないですが、よかったら付き合ってあげてくださいw)

どでかい台風14号がやってきてるって知って、家を守るための出来る限りのことをした後、命を守るために、鉄筋造りの建物に住んでいる親戚のところに避難させてもらえるようお願いして、愛鳥インコ2羽を含む家族みんなでお世話になることにした。
万が一のことを考えながら荷物をまとめたから、持っていく荷物も多かった。
家族全員とたくさんの荷物を積んだ車の中は、ゆったり座ることができない。

高速道路入り口に差し掛かる頃、急にパニック発作の前兆を感じた。
案の定、高速道路に入るとパニック発作がきた。
いつもより強烈な息苦しさと恐怖に襲われる。
このまま耐えるなんて絶対無理!!って思って、高速道路だから本当はダメなんだろうけど、運良く道路脇に広いスペースがあるところをみつけて、無理言って車を停めてもらった。
とりあえず、少しでも楽になるためにできることをしようと、窓を開けてもらって、危険だけど、エンジンも切ってもらって、助手席から後部座席に移動させてもらった。
高速道路に入ってしまったからには、もう引き返せないし、停められないし、次のICまで降りられない。
さらには、ここから先、私にとってパニックの引き金になりかねないトンネルが、何本も、しかも長いトンネルが頻繁に続くことを考えると不安と恐怖が増し、絶望を感じ、泣きそうになった。
そこで気づいた。「あっ!また私泣くのを抑えようとしてる。」
私は、小さい頃から泣くのを我慢する癖がある。
その時、直感的に、泣いたら楽になりそうって感じた。
「家族がいる前だけどいいや!思いっきり泣いちゃえ!」って思って、泣くことを自分に許した途端、自分でもびっくりするほど、声を上げてわんわん泣いた。
泣いている時、今まで感じたことのない体の感覚を感じて驚いた。
以前、おばあちゃんちでブレーカーを落とさずに、電気の交換をしていた時に、誤って感電してしまったあの時の、指先から肘までを巨人に強くギュッて絞られたような感覚が、全身バージョンで起こった。
いったい私の体の中で何が起こっていたんだろう。
口の中までビリビリしてた。
大泣きしたら、落ち着いてきて、楽になった。
ビリビリとした全身の痺れは、しばらく残っていた。
自身もパニック障害の経験がある母がかけてくれる理解の言葉や提案、そして父が言ってくれた「無理そうなら、家に戻ってもいいよ」って言葉に救われて、本音を伝えやすくなった私は、正直な思いを伝えた。
「親戚の家まで行くのも、慣れない親戚の家で過ごすのも、今の私には無理。家が壊れてでも、家に居たい。」って。
そして、家に戻ってもらえることになった。
だけど、次のICまでは、高速道路と長いトンネルに耐えるしかないという事実は変わらない。
高速道路から出るまでの間、何度か発作が押し寄せて来て辛かった。
でも家に帰れるという安堵感と、泣いてみたら苦しさが楽になったさっきの経験のおかげで、発作が来たら思い切り泣けばいいという安心感で、次の発作に対する予期不安が少し和らいで、どうにか耐えられた。
高速降りるまで、たくさん泣いたよ。
発作の苦しさと恐怖からの涙と、私が感じている苦しさを理解し、出来るだけ楽でいられるように真剣にいろいろと考えて最善を尽くしてくれる家族の優しさに胸がいっぱいになって感じた感謝の涙が交互にやってきてた。

今回の発作は特別苦しかったけど、泣くことがこんなにも私を苦しみから解放させて、楽にしてくれるんだと気づいて、「泣く」という術がみつかったことがすごく嬉しかった。
これからは泣きたくなったら、抑え込まずに、積極的に涙を流して、声を出して泣こうと思う。

この日は家に帰って、荷物も解いて、家で一晩過ごした。
幸い、この日は台風の影響が大きく出る日の前日だったから、穏やかな夜を過ごせた。
しかし翌日、台風の情報を集めれば集めるほど、想像していた以上に強い台風であることを知った。
やっぱり家にいるのは危険だと判断したのと、避難指示も出たこともあって、親戚の家に行くよりは近い距離にあるホテルに、どうにかまだ空きがあったから、そのホテルに避難することにした。
ホテルでも何度か発作が起こったけど、温泉露天風呂やラウンジでのヴァイオリンの生演奏、カラオケ、豪華なバイキングなど、楽しみもたくさんあって、次来る発作への不安がありながらも2泊3日楽しく過ごせた。
ありがたいことに、家も無事でした。

パニック障害は、たくさんの大切な気づきを私に与えてくれるし、私がこれ以上、本当の自分の声に蓋をして、自分に嘘をつき続けて生きていくことができないように精神的にかなり追い込んでくれた。
だからある意味、とてもありがたく、感謝に値する存在だし、実際、感謝している。
でもね、だからこそ、もうそういうポジティブばかりに偏ったいい子ちゃんなことばっかり言うのは、もうや〜めた!
これからはネガティブなことを表現することも自分に許すし、弱い自分を人に見せることも許すし、甘えることも許す!
「自分に正直に生きていきたい」という自分の本当の声に気づけたから。
正直な気持ち、もうパニック障害はうんざりだよ。
もうお願いだから、綺麗さっぱり消えてほしい。

頑固な私は、薬に頼りたくないが為に、自分の意志だけで治そうとして、意地張って病院にも行かず、長引かせちゃって、その長引かせてしまっている間にパニック発作のトリガー(引き金)がどんどん増えてしまった。
もう今更、病院に行くなんて、ハードルが高すぎて無理。
まず長時間マスクつけていられないし、じっとしていられないし、人混みダメだし、乗り物乗れないし、コンビニで買い物してレジで支払いを済ませることすら危うい時があるのに、病院で受付→診察→お会計+薬局での受付→お会計まで耐えられるわけがない。
パニックのことを思い出すこと自体、パニック発作の引き金になるしね。

パニック発作が来るかもしれないという恐怖で、今まで当たり前にできていたことが、出来なくなってしまった。
もともと社会不適合者な私。
そんなもともと家に引きこもりがちな私が、パニック障害まで発症してしまって、ますます行動を起こせなくなった。
このままじゃ、生きていても死んでるも同然だよ。
こんな辛く苦しい人生のままじゃヤダ。
もっと楽しくて喜びを感じる人生にシフトしていきたい。

私に残された道はひとつ。
降参すること。
自分の弱さを認め、自分を実際より大きく見せようとしたり、社会に適応できている人間に見せようとすることを諦めること、いい人でいようとすることを諦めること。
私以上でも私以下でもない等身大の自分をありのままに認めて、できることから行動に移し、自分の幸せに自分で責任を持つ人生を始めていくこと。
その為には、今まで握りしめてきた自分を苦しめるプライドや恐怖、無価値感、そして罪悪感を手放していかなければいけない。
これらを少しずつ手放し、自分の弱さを人に見せることを許し、ネガティブな自分も許し、たとえ人前であっても素直に泣いて、怒ることを許し、人に頼ること・甘えることを許し、自分にできないこと・欠点があることを許し、自分の中の人間らしさを許し、人からの期待に応えないことを許し、自分の正直な気持ちを大切にすることを許す。
とにかくどんな自分も許し、ありのままに表現していく。
自分の中にあるもの、湧いてくるものを良いとか悪いとかジャッジせずに、どんどんアウトプットしていく。
それが私がずっと悩んできた生き辛さと、この苦しいパニック障害を癒す唯一の方法だって、実はもうとっくに気づいていたはずなのに、怖くてついついごまかして、行動に移すことを先延ばしにしてきた。
私、とっても臆病者だもん。
そして、依存体質。
今までも生活に支障が出るくらい、いろんなものに依存してきた。
最近ではスマホ依存になっちゃって、なかなか行動を起こせないでいるうちに、パニック障害は悪化するし、鬱っぽくなって、何かをしたいという意欲すら湧かなくなってしまっていた。
自分の意志の力だけでは行動できなくなっているのに、変にプライドは高くて、意地でも薬を使わないでいた私。
もうそんな変なプライドは捨てよう。
頼ること・甘えることを許そう。
今は、今回の強い発作でパニック障害に嫌気が差して、今度こそ本気で治したいという思いが強くなっていることと、台風14号が私の大好きな秋を連れてきたことなんかも重なってか、少し意欲的になってていい感じだし、こうやって自分のありのままをアウトプットする作業を行動に移せているけれど、ここでまたいつもみたいに強がらないで、薬を買っておくことにした。
「いつも冷静な私」なんて思いたいけど、実際のところは「情緒不安定が標準な私」であることをいい加減認めないとね。
気分がいい間は、最強になったように思えるけど、気分が落ちると、またすぐ全てが怖くなって何にもできなくなっちゃうんだから、いつもw
だから自分の意思だけで治したいっていうプライドは捨てて、今は素直に薬に頼ろう。

「何で私はこんなにもネガティブな感情に引っ張られるんだろう」「なんで抗えないんだろう」ってずっと悩んできた。
脳内物質の異常が原因とかそういう物理的なことももちろんあるんだろうけど、私がなんか腑に落ちた、精神面からみた、ネガティブな感情や思考に抗えない理由の答えは、そもそも「抗おうとしていること」自体が原因であるということ。
おそらく、選択する場面で、ポジティブな方をさらっと選べる人って、前提としてポジティブもネガティブも受け入れてるんだよね。
自分の中の何かに抵抗するのではなく、全て受け入れた上で、より高い視点に立って「さぁ、今どれを選ぶ」って感じだから、さらっとポジティブを選べちゃうんだと思う。
人生の幸せとか不幸とか言うストーリーに入り込み過ぎず、深刻さがなくて、ゲーム感覚で、楽しく軽い感じで選んでるんじゃないかな。
ネガティブも受け入れているから、たたかわないから、ネガティブな自分との摩擦が生じないし、抵抗を感じないんだと思う。
私は、人生でのいろんなことをついつい深刻に捉えてきたし、ネガティブな感情やネガティブに感じることを、受け入れるのではなく、闘ったり、変えようとしたり、否定したり、見ないようにしたり、まるでそれがないかのように振る舞おうとしたりして、必死に抵抗することで対処しようとしてきた。
ネガティブな感情や自分の弱さや欠点って、確実に自分の中に存在している訳で、どんなに抵抗したって無くなるものではないし、抵抗すればするほど、それが大きくなっていくように感じる。
無くなれ!無くなれ!と、闘い続けて、結局エネルギーを消耗して、エネルギーが枯渇して、抵抗したくても抵抗できなくなって、自分のことなのに意識的に選択する力すら無くなってしまって、完全に疲弊して、もぬけの殻になっちゃうってことが繰り返し起こってたんだ思う。
何事も抵抗したり、たたかおうとすると消耗して、自滅しちゃうんだね。
やっぱり全てを受け入れ、許す、無条件の愛、愛の力に勝るものはないんだね。
愛について語る時、「力」とか「勝つ」とか言う言葉を使って表現することに違和感を感じるくらい、愛は、全ての概念を超越して、ただただここに在る「すべて」だから。
抵抗しようとしてしまう自分すらも許し愛し、どんな自分も例外なく無条件に愛していくように、意識的に毎日を過ごしたい。

自分を愛せるようになったら、きっと、ずっと願ってきた「人を癒せる人になりたい」という思いも叶っていくはず。
「人の役に立ちたい」と思ってはいても、実際の私は、人と関わること自体を恐れてしまって、人と対面することになるような場面すら、ずっと避けてきた。
例えば、スーパーではセルフレジをつい選んじゃうとかね。
人に会うことすら怖いんだから、このままでは人の役に立つどころじゃないんだよね。
自分の中の恐怖とちゃんと向き合って、先に自分を癒さないと、そして変なプライドなんか捨てて、人に助けてもらうことや甘えることを自分に許してあげないと、人を助けることなんてできないよね。
だから、やはりまずは、自分を本気で癒すことから始めなきゃ。
本当の自分、本音、弱さ、変てこなとこ、ネガティブな感情、醜いところ、かっこ悪いところ、幼稚で子どもっぽいところ、ダサいところ、狂ってるところなんかをぜ〜〜んぶ受け入れ、認めて、愛する。
そして、人前であってもそれらをそのまま表現することを許す。
でもそれが、怖い。
嫌われたくないし、恥かきたくないもんね。
でもそんな恐れもまた感じることを自分に許すことが大切。
そして、そんな臆病な自分の声をしっかり聞いて、しっかり受け止めて、認めてあげた後は、今までの「恐れをベースにした選択をする生き方」から、本当の自分の望みである「愛をベースにした選択をする生き方」に、意識的に変えていくことが大切。
だからほんのちょっとの勇気を出して、今ここに書いて表現しているみたいに、これから先も、弱音を吐きながら、人に甘えながら、私のありのままを形にして、どんどんアウトプットして、自分を癒して、人を癒せるくらいにエネルギーを循環させられるように変わっていきたい。

自分を愛せるようになったら、恋愛だってまたしてみたいな。
今までは、依存的で自らぶち壊すような恋愛しかしてこなかった。
変なプライドのせいで自分の素直な気持ちを言葉にできなかったし、なんでか相手より優位に立とうとしちゃって、素直に甘えられなかったし、自分の気持ちを表現しなくても察してもらいたいっていう無責任なスタンスでいたし、相手から自分を満たしてもらうことばかりを考えていたし、相手を試すようなこともしていたし、どうして欲しいか伝えもしないくせに「私の理想通りじゃない!無理!」って心の中で勝手にキレて、何も言わずに去っていくようなちっちゃい器しか持っていなかった。
今までそんな未熟な私とお付き合いしてくださった、お相手のみなさんには本当に感謝している。
どうか今は、みんな幸せであってほしいな。
恋愛って、本性というか闇の部分が見事にでちゃうのね。
こんなんでも私、自分のことを清楚で、優しくて、控えめで、何でも許せちゃう、深い愛を持った素晴らしい人間だって、傲慢にも思っていたんだよwびっくりだよw
恋愛によって、自分でも気づいていなかった、自分の闇の部分がはっきりと見えてきて、自分のあまりの醜さに幻滅したことで、自分を見つめ直す機会になって、たくさんの大きな気づきを得ることができた。

小さい頃から、「無償の愛」というものに惹かれて、そんな美しい女神のような人でありたいと望んできた。
でも、私の気づかないところで育っていた闇の部分は、無償の愛とは対極と言っていいほど、程遠く悪魔的だった。
なぜ「無償の愛」を追求してきたはずの私がこんな大きな闇を抱えてしまったのか不思議でならなかった。
インターネットを使えるようになって、本も読むようになってから、たくさんの人々の知識や考え方、体験談、メッセージに触れることができるようになって、私の中の闇が大きくなっていった原因が見えてきた。
私が生まれ育った環境に根付いていた教えから発生した「善悪の基準」を、純粋に信じ込んでしまっていたことが原因だった。
その信じ込んでいたことというのが、「自分を大切にすることは罪」だということ。
「自分を卑下すること」や「犠牲」や「罪悪感」や「自分を罰すること」が素晴らしく美しいものであるということ。
「与える」ことは素晴らしく、「求め、欲すること」は罪。
生きようとするよりも、誰かの犠牲になって死ぬべき。
そんなことを子どもの頃から、信じて、頑張ってそのように在ろうとしてきた。
今振り返ると、小さい時からこんな恐ろしい考え方を身につけてしまっていたなんて、本当に怖い。
そりゃ、そんな考え方で小さい頃から生きてれば、闇も深くなるよね。
でも今は、知っている。
全ては「ひとつ」で「愛」であること。
自分の全てを愛することが、宇宙の全てを愛することとイコールであること。
自分を愛せるようになってきたら、相手のエネルギーを奪う依存的な恋愛ではなく、自分も相手も尊重する、本当の意味での「信頼」と「愛」のある恋愛ができるんだろうな。
それぞれに自分の幸せに自分で責任を持った上で、お互いの弱さも認め合って、補い合って、助け合って、それぞれの人生の出来事や感情や思いを分かち合う素敵な恋愛、大人な恋愛をしてみたいな。
恋愛に限らず、そういう人間関係を築いていきたいな。
よ〜し、自分を愛すぞ〜!
うわぁ、めっちゃ赤裸々に
自分の内面を書いちゃったけど
大丈夫かしら(汗)
でも、ここまで一気に正直に自分の内面のことを表現してなんかスッキリしてる。
これでいいのだ!
よくやった私!


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