メタファーの力

村上春樹「海辺のカフカ」を読み返しています。高校生の時に感激しながらぐいぐい引き込まれて読みましたが、「図書館」というキーワード以外思い出せなくなっていたので久しぶりにページをめくりました。

当時は言葉のひとつひとつが心に突き刺さり、そして揺さぶられ、自分の思考体系や生き方に対する意識という細部にまで物語がしみこんでいきました。

そして今、大人になってみると非常にノスタルジックな気持ちになりました。(昔読んだんだから当たり前だけど)ノスタルジックといっても、単に当時を思い出すとか、当時の気持ちを思い出すとか、そういう個別的ノスタルジーではなく、「思春期の葛藤そのものを思い出す」という点で郷愁的なのです。

「思春期」というキーワードで、ある程度は思い出すことのできるあの苦しくてもどかしくて甘ったるい感情。でも、「何となく」は思い出せても実際にどう「感じて」いたかという感覚までは忘れてしまっていることが多いです(もちろん、衝撃的な出来事に関してはそのかぎりではないけれど)。

15年ぶりに海辺のカフカを読んだら、その葛藤や懊悩やときめきや渇望が仔細に思い出すことができました。おそるべし物語の力!そしてそれこそが、この物語を貫く「メタファーの力」というものなのでしょう。フィクションは、結局のところ、自分の人生をメタフォリカルに体験することであって、そのメタファーによって新たな発見や自分の塗り直しをすることこそ、フィクションの最大の役割だと思います。

にしても「メタファー」って言葉はなんて自意識過剰な響きを持っているんだろう。フィクションだから許されるけれど、「カフカ」の大島さんのように、日常生活で「メタファー」なんて使う人間(不可避な場面はのぞく)が身近にいたら、絶対に距離をおいてしまうだろうなあ。。。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?