ねにもつタイプは十字架を背負う

私は所謂「ねにもつタイプ」だ。過ぎ去ったことをずっと忘れずに、グチグチ文句を言う、という種類のものではないが、かつて傷つけられた相手をなかなか許すことができないし、むしろ「傷つけられた」という事実やその内容よりも「許せない自分が情けない」と思い続けて悶々とするタイプです。「許したい」という気持ちはいつだって心の真ん中にちゃんといます。でも、許せないことって、やっぱある。

最近気がついたのだけれども、私が「許せない」のは「私に」酷いことをする人間、というよりも「倫理よりも自己都合を優先させる人」だ。

たとえば(以下実話)、友人Kが家に遊びにきた時、隙あらばモンハンをやっていた。私がごはんの支度をしている間も、子供の相手をしている間も、子供を寝かしつけている間も(これは別段構わないが)、戻ってきてようやく大人の時間、というタイミングになっても、なかなか辞めない。私はそんな彼の行動に少し傷ついた(ほったらかしにされて寂しかった)。でも、嫌だけどKの行動は(Kというイニシャルをつかうとどうしても「こころ」感でるなあ)許せる。1時間で割り切れる。

一方、友人Fが育休明けに保育園を探していた時のこと。激戦区だったらしいのですが、「シングルマザーの優遇とかまじやめてほしい!お金のためじゃなくて、キャリアのために働きたい人もいるんだから!」と堂々と発言していた(しかもWEB上で)。「お金だったらいくらでも払うから入れて欲しい!」だとか、「まじ区長接待しまくった!」とか、そういうようなことを言ってい。(ちなみに私は当時からシングルマザーです)

彼女とは、すごく親しくしていたのだけれども、この一件で彼女は倫理観ではなくて個人的な欲望を中心にして動いているのだな、ということが明らかになってしまい、以来会いたいと思えなくなった。私が直接傷つけられたわけでもなんでもないし、そうなんだと聞き流せばいいような発言なんだろうけれど、私はどうしても許せなかった(そして今も受け入れられない)。

そして、かつての夫のことも許せていない。浮気と風俗店の利用が離婚の直接的な原因だ。「家庭を守る」という倫理よりも己の欲望を優先した。この時の私の気持ちは、「悲しい」ではなくて「こいつだせぇ」だった。こんなダサい男と夫婦でいることが耐えられなかった。妊娠していたし、周りからは「浮気ぐらいで・・・」と思われていたことだろう。でも、私の中で「倫理観より自己都合を優先する人」と一緒にいること自体がかなり苦痛であるし、そんなダサい男なんていないほうが100倍ましだ。「浮気をした」という事実なんかどうでもよくて、その「生き様」に問題があったのだ。

こういうことを言っていると、「きれいごとばかりじゃ世の中渡っていけない」とか、「目をつぶるべき事実もあるのだよ」ということをのたまう方も数多いらっしゃいます。その言い分もよくわかる。

でも、みんなはそうかもしれないけど、私は「きれいごと」を守る必要があるんだと信じている。厳密に言えば、最近になってそれを信じられるようになった。そしたら多少生きやすくなった。妥協していたら、それは確実に失われていく。だから、無理だろうが辛かろうが、自分の中の正義は守り育てることにしたのだ。

結局私はKくんとは定期的に会っている。そしてFちゃんとは会っていないけれど、思い出すたびになぜか「Fにだけは負けない!」とめらめらと謎の闘争心を燃やしているのでした。受け入れられないことの裏返しかしら?友情が壊れたのは悲しいけれど、でもやっぱりそういう思考の人と心をわかつおつきあいはできない。

自分を貫くということは、ときに孤独な闘いなんだなということを思い知らされるのであった。


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