見出し画像

ありのままの私

ここ最近、割とポジティブなモードだったので、なんでも叶いそうな気がしていたし、「私って夢に向かって順調じゃん♡無敵じゃん♡」とウキウキしながら過ごしていた。

そう、昨日だってコンビニで電気代などの支払い12万円を支払う時も、すごく気持ち良く支払えたし、タスクにしていた役所での諸手続きもこなし、彼にお昼ご飯何が食べたい?と聞かれて応えた“ハンバーグ”も食べに行って、あとは何がしたい?と聞かれて応えた“本屋に行きたい”と“スタバでニューヨークチーズケーキ食べたい”も実行し、ご満悦だった。

すべてがハッピー♡

・・・の、はずだった。

スタバでデカフェのラテを飲んでいる時に、事件は起きた。

私は、「いまの私の様子」を写真に撮って欲しくて彼にスマホを渡しお願いした。
すると、彼は自分の用事がまだ途中だったらしく、ほんの僅かに怪訝そうな表情になったのを私は見逃さなかった。

「何用の写真?なぜ撮りたいの?」

彼は撮影を拒否することはなく受け入れたはいいものの、私にはもうその現状はどうでもよく、『怪訝そうな顔をされた』という事実だけにフォーカスし、腹を立ててしまった。

その後彼が怒っている私を見て
「ん・・?なんかヤバい?」と感じ、いろんなフィルターをかけて盛り上げながら私を撮影してくれたが、オール無視した。
(後でこの時撮影された写真を見たが、まさに無表情というか、冷徹な顔をしていた・・・ごめんね・・・😂)


なぜそこまで腹が立ったのか?

そこにはこれまでの経緯といまの願望が隠れていた。


まず、私は彼に今まで一度も「私を撮って」とお願いしたことはない。
SNSも見る専門だし、自分の写真を撮られることは苦手だった。
「かわいくありたい私」に固執していたので、他人目線の「私」の写真はいつも納得いかない仕上がりだった。
いや、本当はそれがありのままの私のはずなのに、芸能人みたいにかわいく盛れた写真を撮れていないと、私に撮っては世にさらす価値のないものだと決め込んでいた。

つまり、『私はSNSで顔をさらせる程の美人ではない』というレッテルを私自身に貼っていたのだ。
なんて、悲しいことだろう・・・


でも、最近は“ありのままの自分でいたい”と考える瞬間が増えてきた。

「本当の自分は何を望んでいるか?」
「何も制限がなかったら私は今日何をしたい?」

そうやって自問自答するうちに、
『思いっきり自分を表現したい!』
その思いにたどり着いたため、彼の目線から見える私を撮って欲しかった。
そしてそれを発信したかった。
それが自分の願いだったのだ。

けれど、そのことをすぐには彼に伝えられなかった。

なんとなく、自分の中に新しく湧いてきた願望を伝えるのが恥ずかしかった。自分に自信がなかった。

その後もずーーーーーーっと彼は私と向き合い、
「何がそんなに不満足だったの?」
「どういう願いがあったの?」
と、私の心の中を探ろうとしてくれていたけれど、

「何にも言わずに撮ってくれたらいいやん!」
と、なんともかわいくない暴言を吐き散らしていた。


それどころか

「私」を発信しようとしたのに出鼻をくじかれてしまった!
 ↓
どれだけ変えようと頑張ってもやはり私は今の生活から抜けられないんだ!
 ↓
やっぱり私がお金持ちなんて無理なんだ!
 ↓
一生、ただお金持ちに憧れているだけの大勢の一般庶民の中の一人なんだ!

と、頭の中ではビックリするような展開が繰り広げられてしまった。
(私はモヤモヤする時はiPadのメモアプリに無言でその時の思いを書き出すのですが、上の部分は本当にその時にスタバで殴り書きした感情です🌀)


たったひとつ、些細な出来事で、オセロが勢いよくひっくり返っていくようなことがあるんだと体験した。

あれだけ「私って無敵♡」モードだったのに、一瞬で「私にはやっぱり無理なんだ」のネガティブモードまっしぐらになった。


家に帰ってからもずーーーーっと腹をかいていた私に、彼が言った。

「今日、みよちゃんが願ったいろんなことが叶ったのに、それをチャラにして、俺がすぐに写真を撮らなかった、そのひとつで不幸せになるの?」


確かに。。。。
10のうち9は願いが叶っているのに、たった1に執着していた。

自分の視点はちっちゃいなぁ。
なんだか妙にスッキリした。
けなすのではなく、諦めたのではなく、「視野が狭い自分、小さなことに固執する自分」をありのままに受け入れることができたのだ。

夜、寝る時に彼に
「今日、本当はね、今の自分の姿を発信したいと思うようになったから、君から見る私を撮って欲しかったんだよ」
と正直に言った。すると、
「それが聞きたかった〜😊みよちゃんが自分を表現しようと思ったこと、俺も嬉しいよ」
と言ってくれた。
これをいうのがなぜ恥ずかしかったのか、今となっては謎だけど、きっとその時の私は、どう思われるか不安だったし、自分に自信がなかった。
私にとってはありのままの自分を表現することは勇気がいることなんだ。

だからこそ
今ここで自己開示することも私にとっては大切なこと。
今日もnoteという場で、私を表現できたことに感謝します。


iPadのメモには続きがある。
ネガティブな思いが溢れた時、「やっぱり自分は・・・」とヘコんだけど
「本当に?本当の私はどうしたい?」
と自分に問うていた。
その後には、

このまま一生を終えるなんて、絶対に嫌だ!!
今よりも広い心で、素直な自分で、やりたいことを全力でする!
欲しい化粧品もバッグも身に纏い、同じく自己研鑽する仲間たちと楽しい時間を増やしたい!
私は、その未来の私の可能性を信じたい!

と、こちらも殴り書かれている。

なるほど、私はそんな願いを持っているのね。
モヤモヤのお陰で私の願いを再確認できた。


これから先も、きっと落ち込んでネガティブな私が出てきて、またiPadで書き殴る日があるだろう。
でも、いいよ。
そんな自分がいても。
それもありのままの私だね。

どんな感情も全てが喜び。
この私のまま、存分に感じていこう。




ありがとうございます♡ 喜んで受け取ります♡