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9月末日の表参道から六本木

参道にある銀行に口座開設に行った。
そのついでに紀伊國屋で母から頼まれていたジプロックを4セット買い、そこから30分ほどかけ六本木へと御目当ての映画にむけ足を進めた。

台風が来る前だから、すごく暑かった。無心で歩き続けた。六本木ヒルズにあるTOHOシネマズを探しても探しても見つからなかった。どこにあるんだと大量の汗をかきながら歩き回った。
マップも私に諦めを抱き、私も同時にマップに諦めそっとスワイプをして閉じた。
近くにいた警備員さんに尋ねたらとても丁寧に教えてくださった。どんなにAIの技術が進んだところで、人間を超えることはないことを確信した瞬間だった。

昔から映画館で観る映画が好きだった。
上映スケジュールを確認しては1日にはしご映画をすることだってあった。
今日は六本木だなんて敷居の高い映画館で観ることにワクワクした。金額を見た瞬間に現実なのか夢なのか分からなかった。
1900円、こんなに映画は高かったか?と自分自答した。この間まで大学生だったからか、9と5の差は激しすぎる。
料金が全く可愛げのない大人の世界の仲間入りだ。
1500円の大学生料金を騙し騙しに押しそうになった自分がいた。しかし最後にはしっかりと良心が働き大人料金で支払った。入場する時に人の少なさから係員の方にしっかりチケットの隅々までチェックされた。大学生料金で買うという不正を働かなくてよかったと胸を撫で下ろした。


本日9/30で上映が終了する映画に運命を感じ観ることにした。
全く理解できなかった。何が言いたいのか、伝えたいこととは、自分が凡人すぎて読み取れないだけなのかと疑うほどに引き込まれる世界はそこにはなかった。右脳は眠りに誘われ、左脳はつるとんたんのうどんを食べるか食べないかの議論が行われていた。それほどつまらなかったと伝えたい。
これが公の場でお披露目させる機会があるとするならば、コンプライアンスで訴えられる可能性があるため絵は綺麗だったと述べておこう。
正直とコンプライアンスは雑誌と付録の関係性みたいなもので、正直を提供するとコンプライアンスが付随するそして処罰の対象になってしまうのだから全く厄介な世の中だ。

生死を扱う映画であったため、つるとんたんを食べずにはやはり死ねないという理由からつるとんたんのうどんを食べることに心を決めた。カルボナーラのおうどんを食べた。今年の2月ごろに食べたカルボナーラのおうどんは革命的な味がしたが故に期待値が高すぎた、ということだけ述べておく。
うどんをむさぶり食べながら、もう一度映画に想いを馳せた。いったいあれはなんだったのかと。

帰りは思い出の都営大江戸線の六本木駅から乗った。週に3、4回はこの場にいた1年前を思うと時の流れが遅いのか早いのか頭が混乱した。
改札出て左側にあるトイレにいつも籠り、スクールに行きたくないことをよく嘆いていた。
過度のプレッシャーと緊張、多忙な日々に幻聴まで聴こえてたあの時期のことを思い出した。
そして帰りはよく新宿で乗り換えたものだ。大江戸線は地下のマントルにでもあるのではないかと思うくらい新宿駅についてから改札に出るまでのエスカレーターは長い。
永遠なんて存在しない世界で、唯一永遠に終わりがないのではないかと思わせるほどのエレベーターだと思った。

そんなことに想いを巡らせていたら気づけば千歳烏山に着いていた。
ポツリポツリと雨が降ってきた。
ここ二日、居候をさせてもらっている先輩が毎朝リピート食べしているローソンのあんバターサンドが気になってローソンに立ち寄った。
流石に買って食べることに罪を感じる。
明日にしようと手に取ったアンバターサンドを卵を扱うようにそっと置いた。
今日食べるのも明日食べるのも同じ気がするが、
まあいいや。

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