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デコボコなりに

人より忘れっぽいなあと感じることは、ちょくちょくあった。駅のトイレにカバンをまるごと忘れたこともあるし、高校入試当日に上履きを忘れたこともある。買い物に行くときはメモが無いと絶対に買い忘れがあるし、リビングから自分の部屋に行って「あれ、何しに来たんだっけ」となることも数えきれない。
アルバイトでは、作業中に持ち場を離れると戻ってきたときに全く別のことに手をつけてしまうことがよくあって、あれもこれもと中途半端になりがちだった。

これらが、ギリギリ支障をきたさないレベルで収まっていたから「鶏頭だから三歩進むと忘れちゃう(てへぺろ☆)」でどうにか済んでいたのだけれど、ここ最近はそうも言っていられなくなった。
厳密には、私の「生活」に支障をきたしていると感じているわけではなく、母親のイライラが止めどなく溢れていることで私の「気持ち」に支障をきたしていた。どう頑張ってもうっかりミスが無くならず、それをその度に責められると身動きがとれなくなってくる。母親も「きっと障害か病気に違いない」と言い始め、近所の心療内科に相談をしたのちに発達検査を受けられる窓口を教えてもらった。

あらゆる情報がネットに転がっているし、大学では心理学科だったこともあり少しの知識は持っていたので、ADHDっぽさがあるなあとはすぐに思った。もし本当にそうならかえって気が楽になるなあとも。

面談を受けて、後日検査を実施。更に後日結果を聞きに行く。予約がなかなか取れず、全部終わるまでに一ヶ月以上かかった。その一ヶ月の間に、何度も母親と修羅場を迎えた。もうたくさんだ。

肝心の結果は、発達障害ではないとのこと。ただ、4つある項目間の数値の差が大きくて、そのバランスの悪さが生きづらさの要因のひとつなのでは、と言われた。具体的には言語理解が正常値をはみ出て高く、処理速度は正常値をはみ出て低かった。かなりデコボコである。
仕事や日常生活の中だと、言葉での説明はしっかり理解できるけれど、スピードを求められる作業が苦手なため、頭でわかっているのに出来ない、という事態になりやすい。もう心当たりしかない。ちなみに忘れ物が多いのは、気にするほどの程度ではないらしい。そうなのか。

母親は結果に対して微妙な反応だったけれど、これは予想通り。というか、どんな結果が出ても温かい反応は期待できないから気にしないことにする。最近はどうにか地雷を踏まずに済んでいるし、母親から受けろと言われた検査はみんな受けて、行けと言われた病院もみんな行ったから、気にしたところで手の打ちようもないのだけれど。

わざわざ検査を受けるほどのことではなかったのかもしれない。それでも、自分の特性を理解できたのは大きな収穫だった。開き直るわけではないけれど、「まあ、人より処理速度の数値低いわりには頑張ってるよね」と少しは自分を許せるような気がするのだ。苦手要素の全てを避けて通ることはできないけれど、苦手だとわかっているものをわざわざ選ぶ必要もないからそれを見極めるひとつの材料にもなった。

あとはうまいこと生きていく。デコボコなりに。


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