深く考えすぎないないタイプだったわ

 以前実家に帰ることをなんの後ろめたさもない。と書いたが、本当はある。めちゃくちゃある。周りの友人達は、結婚して、子供もできて、なんなら家を建てる強者たちがいる中での、実家への帰省は正直情けないと思う。

 周りと比べる必要などないのだろうけども、比べてしまう。仕方がない。どうしたって比べてしまう。

 これの対処法として、深く考えすぎないという結論が今の考えてる中で一番である。よそはよそ。うちはうち。の精神が一番良い。

 と考えていた時に、この考え方ができるのて以外と長所じゃんと思った。物事を深く考えすぎない。なるようになるさの精神。短所にも聞こえるが、長所でもある。というよりそう思うようにした。

 そんなこんなを考えているとふと思ったことがある。あれ俺オードリーでいえば春日側じゃねと。(敬称略させてもらいます。)薄々思っていたことではあるが、今回ので確信をした。

 いや訂正します。若林側ではないと。どちらかというと春日側なのかとそう思った。もちろん彼のスター性など私には微塵もないのだけども。

 オードリーのオールナイトニッポンを聴き始めて5年目くらいになるのだが、若林のトーク力、春日のスター性に魅了されて今もなお聴き続けている。てか東京ドーム公演見てからは2人ともスターなんだけども。

 それは今は置いときまして、特に最初は若林の話に強く共感ができて、自分にもそんなところあるし、そうなりたいなと思って寄せていった部分もあると思う。というかある。

 でもよくよく考えると、彼ほど物事を深く考えないし、というか考え込んだことほぼないかもしれない。基本的にはなんとかなるの精神で生きてきた自覚もある。

 だからなんだということでもないけども、うーん上手く書けないな。笑

 物事を深く考えるのはかっこいいと思う。迷って迷って迷いながらも進んでいく姿。そんな姿に憧れて真似してた部分もあったけど、根本はなんとかなるの精神だからそこを追いかけてもフォームを崩してしまうのかなと思った。

 周りから見たらこのタイミングで一人暮らし辞めて実家に帰ることは情けなく見え、どうするんだと思われるかもしれないけど、それは関係ないと思えるのも長所だなと思ったって話ですね。

 これまでも周りから見れば逆境に見えてたのかもしれない。野球でベンチにも入れないことや、頭が悪いこととか、彼女が長年できていないことも。その他諸々。でも個人的には全部なんとかなると思って生きてきた。そして最終的には、ベンチにも入れたし、就職もそれなりの所に行けたと思っている。なんとかなっている。うん。それでいいじゃないかと改めて思った。

 じゃあなんでこんな自分がオードリーが好きになったのかと考えたら、波の数がたまたま会うだけだった。

 

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