あの夏の思い出 1
しばらくnote書いていませんでしたが、たまに妄想している物語を文字にしてみました。趣味レベルですので、どうかお手柔らかにお願いします。笑
夏の日差しが厳しく、外を歩くだけで汗が止まらない。こんな日は外出をせず部屋にこもるのが一番だ。部屋に入るなり、冷房とテレビをつけると、映し出されたのは地元の代表が試合をしている甲子園だ。よくこんな暑い時に野球ができるもんだなと関心をすると同時に、自分も昔はその高校球児の1人だったのが信じられなくなる。地元の高校は9回裏の守備についていた。2対2の同点、ノーアウト二塁のピンチだ。その光景はあの夏を思い出させてくれるには充分だった。
最後の夏の県大会二回戦。あの日は天気が悪く、野球をやるにはぎりぎりの天候だった。
8回を終えると、自慢の3人の投手陣が打ち込まれ8対2で負けていた。9回表最後の攻撃では、6点差がついてたこともあり、監督は温情采配をしはじめた。いわゆる思いで出場ってやつだ。強豪ではない普通の県立高校ならばよくあることだと思う。
温情采配は、3人目最後の投手、更にレギュラー陣に変え、ベンチにいる3年生達を代打に送っていった。三年生達はそんな監督の思いを良い意味で裏切り、最後の意地を見せた。相手のエラーもあるが打線が繋がり2点を取り、さらにワンアウト満塁の場面で代打に送られた3年の古吉は、ライトスタンドに突き刺さる同点満塁ホームランを打ったのだ。漫画でもありえないよと興醒めされるような奇跡を起こした。攻撃は同点止まりで終了したが、チームはなんとか土俵際を踏みとどまる。しかしその裏に投げる投手がいない。いやいないことはないのだが…
残された投手は、俺と原の三年生コンビだった。俺たちは自分たちの代になるまで元々外野手で、打てない、守れない、走れないと逆三拍子が揃った万年補欠組だった。唯一の取り柄といえば二人とも180センチを超える高身長だ。野手として使う場面がなければいっそのこと投手にしてみようと監督が思い付いたのだろう。新チームになって直ぐに2人とも監督に呼び出され
「投手をしてみないか。お前らの身長は武器になる」と告げられた。
俺らは断る理由がなかった。チームに必要とされるならばなんでもやってやるという思いだ。だが冷静に考えると、Bチームの試合を回すために投手が必要だから打診されたのだと気づいた。しかしそんなこと関係なかった。野手のままだとBチームでも出場が厳しいことを予想していたからだ。身長が高いのであれば昔から投手をやればと思われるかもしれないが、二人とも肩が致命的に弱い。投手になり球速を測ったのだが、お互い最速が110キロだった。今時中学生でも140以上投げる子もいると言われている時代に、あまりにも寂しい数字だ。それでもめげずに練習し、一冬を越える頃には球速を10キロ伸ばし120キロを投げれるようになった。そして投手になりたて頃は、まともに試合を作れず2回とかで降板していたのが、夏の大会前の練習試合では、二人で9回を5失点で収めれるくらいには成長ができた。それでも数字的にも寂しく、自慢の投手陣もいたこともあり、公式戦で投げることはなかった。それでもいつかと準備を続けてきてたのだが、まさか最後の夏の大会で出番が訪れるとは思っていなかった。俺たちはいつも2人で試合を投げ切る。順番はいつも原からだ。この日も最初に呼ばれたのは原だった。
初めての公式戦出場が一点取られたらサヨナラ負けという場面。緊張しないわけがない。
とても平常心で投げれるわけがないと思った俺は、ブルペンからベンチにダッシュで戻り、原に声をかけた。
「おい!大丈夫だぞ。ピンチになったら俺がいるからな。」
すると原は、
「お前の出番はないよ。残念だったな」と笑顔でそう返してきた。
しかしその笑顔は、いつもの笑顔ではないと気づく。高校に入学してからずっと練習を共にしていたからこそ分かる。緊張している時の顔だ。それは仕方ないと思い、楽しめよと言い背中をおもいっきり叩いてブルペンに戻った。
投球練習が始まるが原の球は、中々ストライクゾーンに入らなかった。結局最後の球までまとまることがないまま相手チームの攻撃が始まる。これは厳しいぞと思いながら見ていた初球は…
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