89 結婚に対する焦り、幸せとは
ここ2か月で友人の2人から結婚の報告を受けた。本当におめでとう。心からそう思います。これは今から書く内容と会わないかもしれないけど、ほんとうにおめでとうと思ってます。幸せになってもらいたい。
これを大前提として今日のnoteを読んでもらいたいです。
20代後半も折り返しになると上記のような報告が増えてくる。その度におめでとうと思う反面、正直に書くと俺はなにをやっているんだと思う時がある。これは自分の気持ちだから。そう思ってしまうからしょうがない。他人の幸せを聞いて自分まで喜べるほど人間ができていない。何回も書きますがおめでとうとは思いますし、別れろ馬鹿野郎とは思わないですよ。
ただ現状の自分では考えられない幸せに焦る気持ちと、なんともいえない劣等感が襲ってくるのです。
でも最近こんな考えもするようになった。「俺は自由だ」と。これは負け犬の遠吠え感もあるし、だから駄目なんだよと思われることも分かっている。でも自由だと思った。自分にはまだ守るべき家族もいないし、一戸建ての家を買って一生そこに住まないといけないわけではないなと。
まだ自分のことだけにお金も時間も使えるし、どこか遠い世界に行くことも全然できる。そう考えることで心は少し軽くなったし晴れもした。
人それぞれの幸せがあるというが、やっぱり社会一般的な見方をすれば結婚して奥さんも子供もいる方が、彼女もいない一人暮らしの男よりも幸せに見えると思う。
でもどうやら僕はその一般的な幸せには、まだたどり着けないみたいだ。かといって今が不幸なわけではない。これは強がりなんかじゃない。そら彼女が欲しいなとは思うけど、結婚したいなとも思うけど。
でもそれを友人が叶えたからといって、何も劣等感に襲われる必要はないなと思った。人それぞれの幸せだから。
書きながら思ったが、僕自身一般的な幸せの価値観にとらわれていたところが、どこかにあったと思う。だから負の感情になってしまうのだと。そんな一般的な価値観、要するに「普通」はという価値観に一番とらわれていたのは僕自身なのかもしれない。
でも今日をきっかけに普通がなんだ馬鹿野郎。と思えるようになるのかもしれない。それは他人からみたら可哀そうに見えたりするのかもしないが、そんなことは全然ないと思った。
僕はまだなんにだってなれるし、その世間がいう「普通の幸せ」に巡り合うこともまだまだできると思うから。
これからも自由に飛び回りたい。
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