高校生でビジネスをやるということと、その苦悩について。

「高校生で起業に挑戦してます!」と言うと大勢の大人に褒められ、周りの学生から尊敬の眼差しを向けられる。その瞬間、僕は他人と違う偉大な人間なのだという身に余るほどの優越感に包まれる。それからちょっとすると、ただただ担がれて驕っている自分に対する惨めな気持ちが押し寄せる。

僕は高校生でビジネスを立ち上げようとしている。多分それは誇っていいことなのだろう。仕事はしていない訳じゃないし、僕なりに本気で成功させてやろうと試行錯誤をしている。今のプロジェクトを忘れた日なんて1日もない。きちんと学校に通いつつ友達関係も良好で、それでいてビジネスにだって取り組んでいる。本当に上出来だ。

でもその「上出来」は何の物差しで測った「上出来」なのだろうか。2歳児が九九を暗唱できていたら多くの大人は卒倒するだろうが、40代のおっさんが誇らしげに九九を唱えていても気持ち悪がられるだけだろう。「評価する」という行為には必ずセットで物差しが付いていて、物差しの期待値を上回れば褒められ、下回れば呆れられる。

至極当たり前のことではあるが、僕は高校生なので"高校生"という物差しで自分を測られ、「ビジネス」という側面で期待値を上回っているから褒められ尊敬される。しかしながら、基準の低い"高校生"という物差しだと求められるものの質も非常に低い。つまり、社会的にはそこまでクオリティの高くないサービスやプレゼンだったとしても、簡単に褒められてしまうのである。

常々感じていることではあるのだが、これは本当に危険なことである。というのも、自分が測られる物差しは"高校生"なのに、これから闘おうとしている土俵は年齢なんて関係ないビジネスの世界だからである。高校生というたった一つのステータスの影響で、自分が大人だったら享受する事のできた渾身のアドバイスをふいにしてしまうのである。

僕の尊敬している大人の1人がおっしゃっていたことなのだが、絶対に「自分は万能である」という感覚を持ってはいけない。投資家や起業家をはじめとする周りの大人達はこぞって高校生である自分を褒めてくる。どこに行っても褒められるのだから、本当に自分は何でもできるような気がしてくる。しかしそれは、基準の低い小さな物差しを自分がちょっぴり上回っただけなのである。ここで「自分は万能だ」と思ってしまう事は将来的な破滅を招く。

高校生でビジネスをやるということは、そういうことをいろいろと引っくるめたものなのである。周りが無責任な褒め言葉を並べてくる中で、たった一人で「大人の基準」に立ち向かわなくてはならない。"大人の物差し"がわからないままパソコンと向き合い、ただひたすらこれが社会に通用するクオリティーなのか自問自答する。何となくだが、この時間を愛おしいと思えるかどうかが成功の鍵を握っているような気がしている。

2020年も頑張っていきましょう。

(いつも褒めてくださる方々、常に厳しいことをおっしゃってくださる数名の方々、本当にありがとうございます。ご期待に添えるように日々精進して参りますので、これからもよろしくお願い致します。)

みやゆうです