命とお金と映画と記憶
〝許されねぇ、そったらごど!それだば相手を許したって事になるべな!〟
伯母が激昂していた。
どうやら、両親と共に謝罪に来た青年を家へ上げようとした父を見かけた伯母が3人を追い返し、父に説教しているようだった。
もう17、8年前になる。
当時20才そこらだった私は久々にお盆を実家で過ごし、大学のある町へと戻っていった。とはいえまだまだ夏休み、バイトの日々を送っていた。
8月の最後の日の夜だった。
母から電話がきた。
〝落ち着いて聞いて。おじちゃんが事故にあって…
助からなかった…死んでしまった…〟
母の声が震えていた。
棺の中の叔父の顔には無数の傷がついていた。
ついこの間お盆に会ったばかりだった。
見通しの良い直線の道路。
夜だった。
雨が降っていた。
正面から来た乗用車がふらっと車線を越え、叔父の車と正面衝突。
ハンドルが折れ叔父の体に当たった
下半身は…。
相手は20才そこらの男。
連絡を受け1番に病院にたどり着いた伯父の話。
兄弟の末っ子だった叔父。
長く関東で暮らしていたが、数年前地元に戻り一人暮らしをしていた。
うちにもよく来ていて、お酒を飲んでは父と騒ぐものだから私は好ましく思っていなかった。
〝この間お盆の時にな、子供も持だねぇでごめんなって変な事言ってらったんだじゃ…〟
お葬式が終わり集まった兄弟達に祖母がそんな話をしていた。
兄弟達がそれぞれの場所へ帰った後、父と伯父と私とで叔父の部屋を片付けに行った。
ある引き出しを開けた時だった。
1枚の古い写真が出てきた。
写っていたのは、祖父だった。
私が2歳の時に亡くなってしまっているため、記憶は無いけど遺影と同じ顔。少し若い。
祖父が亡くなったのは叔父が30才になるかならないかくらいだろう。
寂しかったんだな。
寂しさを紛らわせるためにうちに来てたんだな。
何故かふと、そう思った。
引き出しの奥にまだ何か見える。
出してみると3万円だった。
どうする?伯父に聞くと〝新幹線代だ、とっとけ〟と言われた。
往復の新幹線代ピッタリ。
まるで私がここに来て、この引き出しを開けることを知っていたかのように。
もしかしたら、おじいちゃんが呼んだのかもしれない。
それからしばらくしてだと思う。
青年とその両親が訪ねて来たのは。
家に入れたら相手を許すことになる。
弟の命を奪った相手、許せる訳がない。取れるものはしっかり取らないといけない。
そう主張する伯母夫婦。
でも謝りに来てくれたすけ…
力無くポツリと言葉を発して、うなだれる父。
伯母夫婦の言うことも分かる。
けど、お金が入った所で叔父は帰ってこない。
父はお金のことなんてどうでもよかったんだと思う。
私と年の変わらない青年。
彼は一生罪を背負ったまま、これから先の人生を生きていかなくてはならない。
どんな気持ちで生きていく事になるのか。
父がその時青年の未来を考えていたかどうかは分からない。
ただ私は、父の発した言葉の中に少なからず許しを感じていた。
どっちが正しいとか間違ってるとかではなくて。
今日観た映画で記憶がバーっと出て来て。
【Worth 命の値段】
9.11の後、犠牲者と遺族に補償金を分配する大事業を担当したファインバーグの実話。
最初は遺族に寄り添うことのなかったファインバーグ。
お金が失われた命の代わりになることは決して無い。
けど、遺された人が前に進むための助けになることはできる。
とても繊細で難しい問題。
最後は1人1人と向き合っていくファインバーグの姿勢に心打たれた。
命の価値
人生の価値
その重さ
失ったものは戻らない
それでも進まないと
今目の前にあるものを大事にして
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