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昔の傷が、ぷかっと浮いた

いつからだろう。
思っていること感じたこと、頭の中にあるものや
心の中にあるものを、そのまま素直に言葉にする、ということが苦手になったのは。

最近、1つ始めたことがある。
読んだ本や映画、好きなブログ、なんでも、
気になった一言や文章、印象に残ったシーンなど、そのまま書きとる。
それについて自分が何を感じたか、短くてもいい
から感想を書く。
アウトプット、という作業だ。

そういえば昔は読書感想文とか、何か感想を書く
というやつが嫌いだった。
どうだった?と聞かれても
面白かった!しか言えない。
何がどう面白かったのか、スラスラ言葉にできる
人たちが羨ましかった。

私は、自分の感じた事よりも、相手が私に望んで
いるであろう言葉を想像してしまう。
そしてあれこれ考えているうちに、面白かった!
しか言えず、話題が流れていってしまうのだ。

ノートに少しずつ感想を書いてみるうちに、
ある記憶が蘇ってきた。

小学校6年の時だ。
火事で引っ越すことになってしまった友達から
貰った小さな可愛いノートが盗まれてしまった。
そのことを題材に書いた作文で弁論大会に出た。
結果は最優秀賞。
町内弁論大会への出場が決まった。

担任の先生も校長先生も、とても褒めてくれたし
期待してくれた。

だけれどもだ。

〝おめでとう、非常に素晴らしかったよ。
だけど内容がね…。これは町内の弁論大会に
ふさわしいだろうか?別の作文はどうだろう?
そうだ、君は丁度、町制15周年記念の作文に応募
して優秀賞をいただいているね。次の大会にはその作文で出場しよう。〟

私は言葉が出なかった。
いや、本当は嫌だった。だけど、どう嫌だという
ことを伝えたら良いのか分からず、結局は〝はい〟と言った。

嫌だった理由。
こんなに心の底からの訴えなのに、否定された事。
賞をもらった作文は、もちろん町の良いとこ好きな所は本音で書いている。しかし、いわゆる、
審査員受けを考えて書いた。
だから、優秀賞止まり。
心の底からの伝えたい、という想いに
勝てるものなど無い、と知っていたから。

もちろん練習もがんばった。
けど、私の心には穴が空いた。
結果、入賞することはなかった。
先生達はかなり悔しそうにしていたけど、
私には当然の結果でしかなかった。

あぁ、あの時私は傷ついたんだな。
だから、いつの間にか、本当に思ってること、感じてる事をそのまま話すことに抵抗を感じるようになってしまったのかもしれない、と思った。

しかも言葉だけじゃなく、
行動にも現れているかもしれない。

だからなのかな。
もっと自分に優しくして、とか、
自分を大事にして、とか言われるのは。

自分より周りを優先させて、
自分を蔑ろにしてしまっている、かもしれない。

丁寧に自分に寄り添っていこう。
今からでも全然、遅くないはず。




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