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おばあちゃんのこと。

2019/8/16 Facebookより  追記あり
「ゆうこだが…? こったに大人っこになって…」

私のことなんてもう分からないだろうと思っていた。
ずっと会っていなかったし。
10年前私といとこのお姉ちゃんを完璧に間違えていたし。
長女である伯母のことも分からなくなっているようだったし。

また来るよ、と言った私の手を握ってまっすぐ目を見てゆっくり、はっきりと
「ありがとう」と言った。

言うこと聞かないと叩くぞ、お小遣いあげないぞ、と何かと声を張り上げて脅す人だった。
ありがとう、なんて言う人じゃなかった。

おばあちゃんが大嫌いだった。
1度も、今日ですら、自ら「会いに行く」とは言わなかったくらいに。

「(息子である父よりも)お母さんのことをよく呼ぶんですよ」
介護士さんが言っていた。

母が1番大変だったはずだ。
幼い頃から母とおばあちゃんの不仲を感じていた。
きっと母も、おばあちゃんを憎んでいる、勝手にそう思っていた。

だけどここ数年、母はおばあちゃんにプレゼントを持っていったり、
何度も私に会いに行くようにと言ってきたりしていた。
去年かな、そんな話を弟にしたら、弟も母の行動に驚いていた。

きっと、おばあちゃんは誰よりも母に感謝していたのかもしれない。
母にもそれが伝わっていたのだろう。

おばあちゃんも母もそれぞれ必死だったんだ。
お互いに不器用だっただけなんだ。
誰のことも、嫌いだったわけでも、憎かったわけでもない。

「ありがとう」の中に全ての想いを感じた。

1日でも長く元気でいて欲しい。
そう祈ることしかできない。




2021/11/21
明け方夢を見た。
実家にいる。
16、7年前くらいに亡くなったはずの叔父がいた。
〝いいから取っとけ、使え〟と私にお金を渡そうとしている。
〝なんもいいから~〟と横から母の声がする。

2021/11/22
妹から連絡がきた。
〝お母さんからも連絡くると思うけど、うちの
おばあちゃん今月いっぱいもつか分からない〟







階上岳に雪が積もっていた。
あの夢は、虫の知らせだったんだろうか
おばあちゃんが亡くなったのは23日の午前中だった。

想像していたよりも、ずっとずっとずっと、
穏やかな顔をして眠っている。

お通夜が終わっても、なんだかまだ実感が湧かない。

この2年帰れそうにない状況が続いていたので、
もうしばらく頑張って欲しいと思っていたけど
本当に見計らったかのようなタイミングだった。

数日前伯母が訪ねた時、呼び掛けた声に反応して涙を流していたそうだ。

誰にとっても、特に、コロナの事情なんて知らないおばあちゃんは辛い2年を過ごしていただろう。



お別れの時間。
〝ありがとう、本当にご苦労様でした。〟
〝お世話になりました。〟
〝みんなで頑張っていぐがらなぁ〟
お花に囲まれたおばあちゃん、そして
おばあちゃんの子供達の声。

〝ありがとう〟
全員で声を掛けながら棺の蓋をした。


火葬場へ向かう途中、彩雲が出ていた。
〝行ってくるすけなぁ、元気でなぁ〟
そんな声が聞こえてきそうな気がした。


火葬が終わるのを待つ間、夢の事を伯母に話した。

〝そったらごど、あるんだなぁ。
おらさばそったらごど、起ごらねがっだども。
…まんず、昔貧しぐてなぁ。トイレもねぇ。雨漏りもする、見上げれば星っこ見えるボロボロの小屋っこさ住んでな。ばあちゃん働かねばなんねぇすけ、おらも、ちゃっこい弟達の面倒ば見て、学校さもいがれながった。子供6人育てるのに必死だったべな。子供んどさ貧しい想いさせで、親どしても切ながったべなぁ。まんずよぐ働いだ。ただでねぐ働いでらったなぁ。〟

おばあちゃんの生まれは弘前方面。
その頃は八戸に住んでいたはずだ。
階上にきたのは私が生まれる少し前だと思う。

〝それでも、歌っこ好きでなぁ。明るい人だったなぁ。〟

そういえば、そうだっだ。
歌が好きでよく歌ってた。ちょっと踊ったりなんかもして。相撲が好きでよくチャンネル争いした。
お酒が好きだった。手作りの甘酒がお酒臭くて私は苦手だった。
冬には棒針でなにか編み物をしていた。
よく山にきのこ採りに行って味噌汁にしていた。
私がハイハイ出来るようになった頃、1人でトイレに入ってトイレットペーパーを引っ張り出して遊んでいたこと、
2人で歩いてたらカブトムシのオスとメスが1匹ずつ木にいて、2匹とも捕まえてきたこと、
何度も何度も話してた。

忘れていた色んな記憶が蘇ってくる。
ポロポロと聞こえてくるおばあちゃんの話。
知らなかったおばあちゃんのこと。



明るく強く、よく家を守ってきた人。
これからも光となって皆を照らしてくれるように。
おばあちゃんをよく現している、
そしておじいちゃんと対になる文字を使い
一緒に見守ってくれるよう願いを込められた戒名。

生きていかなきゃいけない、精一杯。
貧しさの中必死に繋いでくれた命。
守ってきてくれた命。

〝ゆうこを1番に可愛がってらったよ、初めての内孫だったから。やっぱり外孫とは違うんだなって思ってたよ。〟
いつだったか、1番上のいとこのお姉ちゃんに言われた言葉を思い出した。

私は決して可愛い孫ではなかった。
お姉ちゃんの言葉もあの時は素直に受け取れず、
疑いさえしていた。

厳しさこそ、おばあちゃんの愛情だった。
今なら素直にそう思える。
同時に、ずっとおばあちゃんに対して素直になれなかった自分に悔しさや後悔も感じている。



〝そったらごど気にすんでねぇ〟
とでも言いそうな笑顔で
おばあちゃんは祭壇からこちらを見つめている。




そういえば23日は勤労感謝の日だ。
変な言い方かもしれないけど
おばあちゃんにぴったりな日だったのかな、なんて思う。

〝そういえば〟のついでに。
伯母や叔父の名前を訛った状態で覚えていた為、
今更になってちゃんとした名前を知った。
この数日私はだいぶ衝撃を受けた。
そんな驚きと笑いをもたらしてくれたことも、
おばあちゃんらしいな、と思った。

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