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三宅ノート2

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2015年2月の記事一覧

汝、淀んだ小流となるよりも寧ろ、人に与え得る大河となれ。

天から与えられるものは、己が内にとどめれば呪いとなり、

人に分け与えんとすれば、祝福となる。

汝、淀んだ小流となるよりも寧ろ、人に与え得る大河となれ。

小説「最果ての森」

月が出ている。高く明るい月だ。私は月明かりの照らす真っ白な道を森の中へ運ばれる。ふさふさとした二本の手が私の体を抱いている。暖かい、不安がない、風が気持ち良い。白い毛が揺れては私に触れる。ずんぐりとした足で歩いている。長いひげと、湿った鼻と、体を包む白い毛並が歩くたびに揺れて、見ているだけで私の胸をワクワクさせる。目は赤く大きく砕けた水晶のように深い。でも言葉は太く優しい。「大丈夫だよ。」ウサギは

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その向こうは。。。

人にできるのは認識を形成するように促すことだけである。その向こうは自然現象である。同様に、人にできるのは、作品を形成せるように促すだけである。その向こうは自然現象である。

認識の系列、行動の系列。

人間の知性には、二つの系列がある。即ち、認識の系列と、行動の系列である。

認識の系列とは、人間が環境から学ぶ時に、一気に何かを知る、のではなく、身体から知能に至る経路の途中途中のポイントで学んでいく、そのポイントの系列である。例えば、トンカチで釘を打つ、ことを覚えるとする。手の先、肘、肩、そしてそれを記憶する運動野、それを感じる意識、といった、すべての段階で記憶するのである。

もう一つ

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ニコライ・ベルンシュタイン「巧みさとその発達」を読む。

ニコライ・ベルンシュタイン「巧みさとその発達」を読む。http://www.kanekoshobo.co.jp/book/b184012.html

巧みさとその発展は、とてもスマートな本で、かつ内容があまりにも豊富かつ重要である。ただ、このテーマに関心を深く持つのは、知能と身体の研究者、スポーツ選手など、限られるかもしれない。そこで、この書籍をここで自分なりにかなり人工知能の立場から偏って解説し

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専門家になるということ。

専門家になるということは、他人への優しさでもある。

人の記憶と時間は有限であり、自分をある領域に明け渡す。

それぞれが役割分担をしながら、僕たち専門家は広大な知の領域をカバーしている。

人類の叡智は書物とそれを使いこなし実践する人によってフィジカルに存在する。

だから専門家になるということは、他人への優しさである。

ゲームデザイン討論会 第九回まとめ

twitter上でゲームデザインについて語る会をしています。

これはその記録です。

ゲームデザイン討論会 第九回 - Togetterまとめ http://togetter.com/li/781777 @togetter_jpさんから

脳と身体。

脳から何でも操作できれば良いと思うこともあるだろうけど、

人間は身体があるからこそ、気分の乗らない時でも、身体を動かして活動できる。

脳だけから何もかもは逆にしんどくなる。

創作の出発点はうまく制限を作ることである。つまりルールであり、ゲームの始まりである。

創作の出発点はうまく制限を作ることである。つまりルールであり、ゲームの始まりである。

であるならば、時代という制限をつかいきれ。そうすればこそ、次の時代が見えるのだ。