認識の系列、行動の系列。

人間の知性には、二つの系列がある。即ち、認識の系列と、行動の系列である。

認識の系列とは、人間が環境から学ぶ時に、一気に何かを知る、のではなく、身体から知能に至る経路の途中途中のポイントで学んでいく、そのポイントの系列である。例えば、トンカチで釘を打つ、ことを覚えるとする。手の先、肘、肩、そしてそれを記憶する運動野、それを感じる意識、といった、すべての段階で記憶するのである。

もう一つ、行動の系列とは、その逆に、意識から身体へ向かって、運動が展開される経路である。意識のイメージしても、すぐに実現されるわけではない。身体を段階的に降りながら、行動を展開していく。意識から身体へ至る節々において、学習されたポイントが行為を連鎖的に作り出す。

この二つの系列は、意識の内奥において結ばれるが、それだけではない。二つの系列同士は、意識の中心まで行かなくても、途中途中のポイントで結び合う。例えば、いるんな反射的な行動は、テーブルからボールが落ちそうになっね思わずキャッチするのは、表面的な適応によってなし得るのである。

母親の鏡像段階から始まる人間の知能は、やがて奥へ奥へと深化する。認識の系列の奥へと、行動の系列の源流へと。

身体が差し込まれた感性と、
逃げ行く身体を捕まえようとする行動と。

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