成るように成るよ、自分次第で

こんにちは。

今回は完全に自分のメモ用です。何かをひけらかす気はありません笑

自分の心と会話するつもりで書きます。

私は性格とか特徴って見た目とか外から見えるもので

ほとんど判断できるではないかと思っています。

よく「見た目とか裏腹に」とか「思ってたのと違う」なんて耳にしますが、

それはその人の性格がしたたかで、周りに見えない様にしてるサイコパス的な人間か、

判断した人がほんとにトンチンカンな見方をしたかです。

したがって、

見た目とその人の行動を見れば

大体性格とかわかる気がするのが私の個人的な感想です。

違ったらすみません。

でも、結構当たってるような当たってないような笑

さて話変わりますが、

ある本にこんな事が書かれてありました。

よく「あざとい」なんて言われる人って

なんで周りからそう言われるんでしょうね。と

例えば、良くテレビとかで見る合コンとかで

「サラダを小皿に取り分ける女の人」

異性がいるからなんだかわからないですが、

すごくあざとく見える時があります。

でももし、普段から気遣いができて気の利く人が

サラダを分けてもなんとも思わないはずです。

なんじゃこの違和感は、と

それは普段できてない、やってない事が

ぎこちなさになって、

他人からすると気持ち悪く感じるらしいです。

要は習慣になってない、不自然であること。


全然優しくない人がいきなり優しくなるギャップに

萌える人もたまにいますが、

普通に考えたら

裏ありそうで私は気持ち悪いです。笑

なぜそのような振る舞いをするのか。

それは他人からよく思われたいから

他人からよく自分に思われたいと作った自分は

実はできていない自分とも言えます。また、

それは理想の自分とも言えます。

人は習慣になってないことや無意識に出来ないことは

他人からすると違和感にしか見えないです。

いつも優しい人は誰にでも優しいです。

いつも気が使える人はいつでも気遣いができます。

なりたい自分、理想に近づくには

行動や言動を心がけて習慣化すること


すなわち、

息するように当たり前にできるようになって初めて、理想の自分になれると思います。


ここでやっとタイトル回収させていただきます。

以上です。

でも「あざとい」人って

あまり良い言葉に聞こえないですが、頭の良いイメージあります。

それが逆に裏目になってしまっただけだと思います。

考え方と習慣は一心同体なんだなと思いました。

読んでいただきありがとうございます。

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