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幸せのカタチはどんなカタチ?

今日(2020年2月8日)の日経新聞のNIKKEIプラス1の記事がおもしろかったのでこの記事に関して感じたことを書いていこうと思います。

この記事を読んだ私の率直な感想は、

「時代背景によって幸せのカタチは大きく変わる」

ということです。

人によって幸せのカタチはそれぞれです。

もちろん、ミクロな視点で一人ひとりの”幸せのカタチ”を見てみるとそれぞれ違いはあると思いますが、マクロな視点で見てみると時代ごとにその時代背景を反映した”幸せのカタチ”があると思いました。

私の身の回りで感じる、

私の世代(20代)と私の親世代以上の世代(40代以上)との違いは

幸せの感じ方が相対評価によるのか、絶対評価によるのか

ということです。

私の肌感では

20代の子たちの方が40代以上の世代よりも絶対評価で幸せを定義している人が多い気がします。

これが”大学生だから”ということに起因するのかはわかりませんが💦

もちろん彼らは、全く相対評価をしないというわけではありません。

が、しかし、

40代以上の世代よりも絶対評価の傾向が少し強い気がします。

この違いにはいろいろなことが影響しているとは思いますが、

私はこの違いは時代背景にあると思います。

私が生まれた時は、日本は食べることに困窮するほどではありませんでした。

そして今は、大体同じようなクオリティのものが安く手に入る時代。

どこの市場でもコモディティ化が起きている時代。

SNSで誰もが発信できるようになった。

SNSによって世界が広がることで多様な価値観に触れる機会が得られるようになった。

SNSを通して自分を表現することで自分らしさを表現する。

多様な価値観があふれるSNSの世界でいかに自分の色を出すか。

一方、今の40代以上の世代はどんな時代だったのだろう?

わかりやすいところで言えば、

いい大学に入ればいい会社に入れた時代

だと思います。

ただ、その”いい大学”に入るには今よりももっと激しい競争を勝ち抜かなければいけなかった時代。

そうなると、自然と人との比較の上で成り立つ幸せが形作られるのも納得がいきます。

(あ、これは先輩世代を決してディスっているわけではありません。)

ここで注意したいのは

相対評価がいいとか、絶対評価がいいとか、そういうことを言いたいのではないということです。

何でもそうですが、相対評価と絶対評価もバランスが大事だと思います。

相対評価ばかりだと、常に人と比較してしまうので心が疲れることがあると思います。

一方で絶対評価ばかりだと、”当たり前”を”当たり前”としか認識できず、今の”当たり前”な状況に感謝することを忘れ、傲慢になってしまう気もします。

幸せのカタチは人それぞれなので、誰がどんなカタチを幸せとするかは自由です。

みなさんの”幸せのカタチ”はどんなカタチですか?

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