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「フレンパ」~友だち以上父親未満~ 第8話

午後三時、帝国通運本社十四階の中会議室では、セミナー形式でセッティングされた席に、総勢三十名ほどの営業企画部社員が次々と座り、スライドスクリーンの前でパソコンの接続状況をチェックしている仲城へ、静かに視線を送っている。

今日の会議は、シニア人材活用チームが企画立案した新規ビジネス案の検討会であるが、他のグループやチームも含めて、部内全体で意見交換することをメインとしていた。とはいえ、吾朗が他の社員による立ち話しに聞き耳を立てて入手した情報では、今回のセミファイナル三案は、事前に一部の役員との擦り合わせを済ませているため、特に議論もなくシャンシャンで終了するだろうとのことであった。

社員の中でも最後に入室し、末席の空いている椅子を探していた吾朗であったが、ふと視線を向けた窓際のオブザーバー席に目が釘付けになった。というのも、そこで隣の男性と談笑しているコンサルらしき女性の姿に見覚えがあったからである。

「もしかして・・・、十和子さん」

黒のVネックブラウスに、夏らしく袖をたくし上げた白のジャケット姿は、ひと目で彼女が、有能なコンサルであることを物語っている。そして、スリムな白のパンツ姿で足を組みながら、彼女は資料に眼を通し始めていた。昔と変わらないスレンダーな体型ながら、色白でふっくらした顔立ちは、二十八年が経過しても、一段と着物が似合いそうな和風美人という華やかさを放っている。

「若山十和子さん。間違いない。でも、どうして・・・」

最後尾の席で、俯き加減に座りながらも、吾朗は十和子に気づかれないように、慎重に彼女へ視線を送った。

「それでは只今より、執行役員の皆さま、そして外部のコンサルティング会社の先生方にも、ご参加いただきまして、シニア人材活用の新規ビジネス案を検討したいと思います。どうか忌憚のない、活発な意見交換をお願い致します」

「出来レースのような会議で、活発な意見交換なんて・・・」

専任部長である仲城の挨拶を聞いて、吾朗は俯きながら、心の中で苦笑していた。そして、自社の役員には「皆さま」、外部のコンサルには「先生方」と、当社役員への敬意を忘れない言い回しは、いかにも社内政治をモットーとする仲城らしいと改めて感じた。

そして仲城は、男性のチームリーダーにマイクを渡すと、そのチームリーダーは、これまで検討した結果である三つのセミファイナル案について、スクリーン画像をレーザーポインターで示しながら説明を始めた。

「でも、どうして十和子さんが、ここに・・・」

吾朗は心の中でそうつぶやきながら、二十八年前に、ふたりで過ごした香港の夜を思い出していた。

二十八年前。

二年間にわたる香港での業務研修を終えて、日本へ帰国する最終日。九龍城地区にある老舗タイ料理レストランを後にして、タクシーで二次会へと向かった吾朗と十和子は、馴染みのスナックでカウンターに並んで座ると、十分もたたないうちに、すでに二杯目の水割りを傾けていた。

「若山さんって、結構、お酒強いんですね」

吾朗は、一次会でビールをジョッキで三杯も飲んでいた十和子を気遣う思いから、そう言ったのだった。

「楽しく飲める時は、いつもこんな感じよ」

「よかった。ちょっと飲むペースが速いから・・・、安心しました」

「大丈夫。それより、何か歌ってくれない?」

そんな十和子のリクエストに応えて、吾朗は、以前からよく歌っていた、広東語のラブソングを選んだ。

吾朗が歌うカラオケ曲の間奏部分になったところで、十和子は隣に座る吾朗の腕に自分の腕をそっと回した。いい気分で酔っていた吾朗は、そんな十和子の行動に違和感を抱くこともなく自然な流れのように、その仕草を受け入れて、歌い続けたのだった。

「この曲、大好きよ。でも、よく覚えたわね」

十和子は、吾朗が歌い終えたところで、そう言った。

「小型のポータブルカセットで、毎日聴いて練習しましたから。広東語の教材カセットも、それくらい練習すればよかったと、後悔してますけどね」

吾朗は、そんな冗談を言いながら、十和子と組んだ腕のほうへ自然と体を寄せた。

「これって、もともと、日本のラブソングなんですが、僕はこの広東語の歌詞のほうが好きなんです」

一次会では吸わなかった煙草を取り出しながら吾朗がそう言うと、十和子は、吾朗の肩へ頭をもたげて「そうね」と頷いた。

「この曲の歌詞みたいに、『君への愛が、毎日少しずつ大きくなってゆく』なんて・・・、そんなセリフ、言われてみたいわ」

十和子が、ぼんやりと遠くを見つめるように、つぶやいた。

「また~、そんなご冗談を。ご主人がいるじゃないですかぁ~」

煙草に火を点けて、最初の煙を吐きながら冗談っぽく言った吾朗は、すでに二杯目の水割りを空けていた。そして、程よく酔ってきたせいもあってか、もたれかかる十和子の顔を、吐息がかかるくらいの近さで見つめた。

第9話へ続く。


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