龍神さまの言うとおり。(第12話)
新宿中央公園の上に広がる青空を見上げながら、洋介は二十六年前に愛媛県八幡浜市の沖にある大島で体験した不思議な出来事と、その時に恭子が歌った曲を思い出していた。
「あれは確か、アメイジング・グレイスだったよね。さっき青雲高校の校庭で歌ったのは、ユー・レイズ・ミー・アップだったけど・・・」
「ええ、あの時みたいに、時間は止まらなかったわね」
笑いながら、そう答えた次の瞬間、恭子は真顔になって続けた。
「実は・・・、あの時、言わなかったけど、わたし・・・、声楽を続けようか迷ってたの」
「えっ、どうして?」
「だって、三河くんって、進学先の第一希望が大阪の外国語大学だったでしょ?私は東京の音楽大学だったし、進路が別々になっちゃうから・・・」
洋介にとって、それは初耳だった。
「じゃあ、僕と同じように、大阪の大学への進学も考えていたってこと?」
「そう。だって、高校卒業と同時に、三河くんと別れたくなかったから」
「でも、結果的に東京を選んだ・・・」
「そう。あの時、大島でアメイジング・グレイスを歌った後に、東京に行くって、声楽を続けるって、決めたの」
「ただ、結果的には、大学を卒業する段階でオペラ歌手としての才能に限界を感じて、声楽をあきらめたんだよね?」
恭子は、そんな洋介の問いに、微笑みながら言葉を返した。
「あの時、私が歌い終わった時だけど、女性の龍神さまの声が、もう一回聞こえたの。『東京の音楽大学を卒業するまは、歌を続けなさい』って」
このことも、洋介には初耳だった。
「もしかして、その後、『誰にも話してはならぬ』って、龍神さまから言われた?」
「どうして分かるの?その通りよ。『今の言葉、二十六年間、決して他言してはならぬ。その後は嬉し楽しの暮らしとなる』って言われたわ。でもね、これでスッキリしたわ。今日、こうして三河くんに偶然出逢って、全部話すことができたから」
「今日は七月三十一日で、あの大島に行った日から、ちょうど二十六年目になるな・・・、これって、あまりにもドンピシャすぎる気がしない?」
洋介は、真顔で言った一方で、頭の中では、なぜ龍神さまが恭子に大学を卒業するまで歌を続けるように言われたのか、そして、なぜ二十六年間だったのかを考えていた。
「なぜ・・・、どうして・・・」
いつの間にか洋介の口から、そんなつぶやきが、こぼれ落ちていた。
「確かに。まるで未来を予知した上での、お告げだったとしか思えない」
「そうか・・・。龍神さまには、未来が分かっていたのかもしれない」
恭子が発した”予知”という言葉に、洋介は、何か閃いたように声を弾ませてそう言うと、さらに続けた。
「北山さん、人生のシナリオって、あると思う?」
「どうしたの?急に・・・」
恭子は、不思議そうに洋介を見つめた。
「確か・・・、スピリチュアル関係でよく耳にするけど」
恭子の返答に、洋介は頷いて、自分の考えを話し始めた。
「あくまで仮説だけど、あの時、僕たち二人は龍神さまのいる次元に瞬間移動していたのかもしれない。まあ、分かりやすく言えば、夢の中に移動したと言ってもいいかな。アインシュタイン理論の視点で言えば、そこは光よりも高い周波数の世界。だから、すべてが止まっているように見えた。そんな次元では、人間が自ら予定した人生シナリオを、瞬時に見ることができるのかもしれない・・・」
「だとすれば、私が前もって予定していた人生シナリオは、三河くんと別れて、東京の音楽大学へ行くことだった」
「そう。僕のことは気にせずに、予定しているシナリオどおりの道を行きなさいって、龍神さまは言いたかったんじゃないかな」
洋介は、真剣な眼差しで、そう言った。
「でも、それと『二十六年間は他言無用』というお告げは、どういう関係があるの?」
「自分が事前に描いた人生シナリオは、決して知ってはいけないストーリーなんだと思うよ。しかも、それを自分以外の他人までもが知ってしまえば、その人の想念が影響して、予定していた未来が変わるかもしれない。また、それは本来のストーリーよりも、悪い方向へと変わるんじゃないかな」
そして洋介は、さらに具体的な話しを始めた。
「結局、僕は、北山さんと将来を約束することなく、高校卒業と同時に恋の止符を打った・・・。でももし、あの頃、北山さんが僕と離れたくない理由で、声楽を辞めるべきか悩んでいたことを知ったなら、たぶん逆のことをしてたと思うよ」
「えっ?」
驚くように声を発した恭子の表情を見ながら、洋介は話し続けた。
「初めて話すけど、あの頃、他にラブレターをくれた女の子が一人いてね。その手前、公然と北山さんと付き合うことに、ブレーキをかけていたんだ」
「つまりそれは・・・、その子を傷つけたくなかったから?」
「うん」
「そうだったの・・・。確かに、三河くんって、いつも女性に対して優しくて、モテてたよね」
「まあ、それも仮面を被ったカッコつけだよ。あの頃もっと素直に北山さんへの気持ちを伝えていれば・・・、たとえ違う大学に行っても、北山さんとは遠距離恋愛をしていたかもしれない」
そんな洋介の話しを聞きながら、恭子は目を輝かせていた。
「本当は、抱きしめたいほど北山さんのことが好きだった。でも、あの頃は、なぜか『好きだ』っていうセリフが言い出せなかった」
そう言いながら洋介は、あらためて恭子を見つめた。
「二十六年目の告白ね。ありがとう。今更だけど、何だかすごく嬉しいわ。こんな歳になってもね・・・」
照れた表情で、恭子も洋介を見つめた。
第13話へ続く。
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