「フレンパ」~友だち以上父親未満~ 第12話
午後六時四十五分。
夏至を過ぎたJR新橋駅、SL前広場。
この時間になっても東京の空は、まだ青い。
サラリーマンたちが行き交う新橋駅前広場では、中央に置かれてある蒸気機関車を目印に、待ち合わせの人々が、それを囲むように立っている。
吾朗も同じようにSLの傍に立って、時折、腕時計をチラッと見ながら十和子の姿を探していた。
「ごめん、待った?」
息を切らしながら、十和子が吾朗の背後から駆け寄ってきた。
「全然、待ってないよ。それより、そんなに走ると、汗が・・・」
二十八年前の香港で、十和子と最初で最後のデートをした、夜のネイザンロード。そこで、ふたりは抱き合った。その時点で既に、吾朗は十和子に対して丁寧語を使っていなかった。とはいっても、今この突然の再会による緊張感からか、先ほど送信したショートメールでは、十和子に対して丁寧語を使った吾朗だが、実際に彼女の声を聞き、その表情を見た途端、なぜか先ほどまでの緊張感は消え失せていた。
「心配ご無用。もう、汗だくになってるから」
屈託のない笑顔を見せながら、十和子が白いジャケットを脱いだ。
「どう?元気してた?」
額の汗を手の甲で拭いながら、十和子が発する明るい声を聞いた瞬間、吾朗は、それまで抱えていた息苦しさから救われたような安堵感を覚えた。
「う~ん、たった今、元気になったよ」
そう言う吾朗は、心からそう思っていた。
「それって、なんか意味深だな~」
笑顔のままで、そう言う十和子を、吾朗は目を細めながら見つめた。
「じゃぁ、いまから、どこに行こうか」
二十八年分の過去を一刻も早く、ひとつひとつ聞いてみたい衝動に駆られながらも、吾朗は平静を装って、そう言った。
「そうね~、飲茶が食べたいな~」
「いいよ。それじゃあ、日比谷シャンテの添好運レストランはどう?人気の店だから、ちょっと並ぶかもしれないけど・・・」
「ぜ~んぜん問題なし。そこで決まり!」
そう返事をした十和子の背中に手を回した吾朗は、ふたり並んで外堀通りへと向かった。そして横断歩道を渡りタクシーを止めると、先に乗車した吾朗は、ドライバーへ『ガードをくぐった先の外堀通りを左に進み、その先にある数寄屋橋を左に曲がって、少し先で停めて欲しい』と指示した。
「道に詳しいのね。さすが、運送屋さん」
「そう言う十和子さんだって、香港ではウチの現地法人にいたじゃない」
走り始めた車の中で、吾朗は十和子を見つめながら、かつて香港で十和子に広東語を指導してもらった日々を思い出していた。
ふたりがタクシーを降りて、添好運レストランがある日比谷シャンテの広場に着くと、一階にあるレストラン前には、もう既に十五メートルほどの列ができていた。
「よかった、これでもまだ列は短いほうなんだよ」
吾朗はそう言って、十和子とともに最後尾へと並んだ。
「綾島くん、この数年で、いろいろ苦労したみたいね」
「あぁ、その話しね、っていうか・・・、どうして知ってるの?」
驚いた表情をする吾朗に対して、十和子は真剣な眼差しを向けながら、二十八年前の遠く甘い記憶を、噛み締めるように話し始めた。
二十八年前、十和子は吾朗とネイザンロードの路上で抱きしめ合った後、ふたり手をつなぎながら、ビクトリアハーバーへと向かって歩いた。ペニンシュラホテル前から横断歩道を渡り、スターフェリーの乗り場近くに着いたふたりは、再度そこで抱き合いながら、まるで時間を忘れたように長い口づけを交わしたのだった。
「それじゃ、そろそろ、時間も遅いし・・」
既に午後十時を回っていたことで吾朗は、九龍側の高級住宅街である太子道に住んでいる十和子を気遣って、別れを告げようと唇と離した。そして吾朗は、香港島のセントラル地区にあるヒルトンホテルに宿泊していたこともあって、港から出航するスターフェリーの改札口へと視線を向けた。
「私も一緒に、乗っていいかな?」
突然、そう言った十和子は、何かを決意したような表情で、吾朗の瞳を見つめている。
そして次の瞬間、吾朗は、その言葉を待っていたかのように、再び十和子の唇を求めながら、それまでよりも一層激しく十和子を抱きしめたのだった。
もはや、ふたりの間に会話は必要なかった。
スターフェリーの二階席に並んで座り、ただひたすら夜のとばりに浮かび上がる夜景を眺めつづけた二人は、香港島側に着いた後、港にほど近いヒルトンホテルへと歩いた。そして十和子は、吾朗が宿泊していた上層階にあるハーバービューの部屋に入り、最初で最後の夜を過ごしたのである。
第13話へ続く。
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