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「龍神さまの言うとおり。」第七話

新宿中央公園にあるカフェのテラス席。洋介は、二十六年前の高校時代を思い出しながら、改めて自分の前に座る恭子の姿を見つめた。

「あの時・・・、二十六年前に、もっとストレートな会話をしていれば、たぶん僕たちは結婚していたと思う。でもね、龍神さまのお告げを考えると、そんなシナリオにならないほうが良かったんだよ」

洋介の言葉に恭子は、何か腑に落ちないような顔をした。

「じゃあ、もし私が龍神さまのお告げを三河くんに話して、そのあと私たちが結婚していたら、予定したシナリオって、どうなったのかな?」

「たぶん、離婚してた。その後、今の配偶者と再婚という形で結婚していたと思うよ。本来のシナリオへ修正するためにね。ただ、その再婚では、これまでよりもっと辛い経験をしたんじゃないかな?それと、二十六年後の嬉し楽しの暮らしはキャンセルされたと思う。以前に、フェリーの中で話した龍神伝説に登場する貧しい漁師と同じパターンでね」

洋介の話しを聞きながら恭子は、二十六年前に教えてもらった龍神伝説を思い出していた。

「豊漁が続いて長者になったのに、龍神さまのお告げを他言してしまって、それ以降は不良続きで、元の貧乏な漁師に戻ってしまった話ね」

「うん。それ以外にも、日本には同じような伝説や寓話がたくさんあるけど、それらが意味することは、たぶん二つあるような気がする」

「どんな意味?」

恭子が、身を乗り出すようにして聞いた。

「一つ目は謙虚に歓ぶこと。天界の龍神さまから言われたことに反する行為って、謙虚じゃないし、心から歓んでいない証拠だよね。そして、二つ目は潔く諦めること。たとえ、天界の意図に反した行為で、予想外の状況になっても、それを潔く学びと捉えて諦める、つまり忘れることだね」

「謙虚に歓ぶ。そして、潔く諦める・・・、何だか難しそうね」

「まあ簡単に言えば、流れに任せて生きることかな。あの龍神伝説に出てくる貧しい漁師は、急にお金持ちになったから、全て自分の思い通りになると思って、驕り高ぶった勢いで他言してしまった。有難いことがあれば、謙虚に『有難う』と言って、おしまいにすればいいんだよ」

洋介の言葉に恭子は、再び腑に落ちないような顔をした。

「じゃあ、私たちって、今日こんな・・・、普通じゃあり得ないような偶然の出逢いをしたけど、それはどう理解すればいいの?」

考え込む表情をしながら、少し間を置いて、洋介が言った。

「まぁ、お告げを守ったご褒美だね。あとは、この出逢いに感謝しながら、流れに乗って嬉し楽しの暮らしをすればいいんだよ」

「それって・・・、『その時が来た』ってことかな?」

「え?」

恭子の発した言葉が、洋介には想定外だったことで、次の言葉が見つからなかった。ただ、そこには何か特別な思いが込められているような気がした。

「まぁ、そっ、そういうこと・・・、かな」

洋介の中途半端な声に、恭子は真剣な眼差しで次のように言った。

「二十六年前に、三河くんが言ったセリフ・・・、覚えてる?」

「えっ?僕が?」

恭子の言葉に、洋介は一瞬考え込んだ。しかし、洋介の目の前にいる恭子の表情は、かつて高校時代の体育祭最終日に、二人で会った時の表情とダブって見える。

「もしかして、あの日・・・、生徒会室で言った・・・」

恭子は、黙って頷いた。 

「あの日、三河くん、『その時が来たら』って、私とのファーストキスを断ったでしょ。もしかしたら今日、その時が来たってことなのかも。あの時、私が潔く諦めたから、二十六年経った今、やっと・・・」

恭子が、すがるような表情で洋介を見つめて言った。

「あれは、確か・・・、体育祭の最終日・・・」

そう言った洋介は、高校二年生で迎えた初秋、二日間に渡って開催された体育祭の最終日に行われた、後夜祭での出来事を思い出していた。

二十六年前、初秋。

愛媛県の八幡浜高校で二日間に渡って開催される九月初旬の体育祭は、その日、最終日を迎えていた。すべてのイベントを終了した夕暮れのグラウンド中央では、後夜祭のキャンプファイヤーに火が点けられて、赤い炎がメラメラと立ち昇り始めている。

これは、洋介がメンバーとなっている生徒会の計らいで実現したイベントで、体育祭が終了した後も、その余韻を味わいたい学生たちのために企画した”炎を囲むフォークダンス”であった。

洋介と恭子も、その炎を囲むダンスのラインに入り、フォークダンスをしていた。やがて二人が一緒に踊る順番がまわって来たところで、恭子は洋介につぶやいた。

「終わったあと、一緒に帰ろっか」

「いいよ。じゃあ、六時に生徒会室で待ってる」

二人が下校前の待ち合わせをする際は、時間を見計らって生徒会室で落ち合うことが多かった。部活動で生物部の部長をしていた洋介は、主任教諭の推薦で、体育会系部長と対をなす文化会系部長という生徒会の役職を任されることになった。そのため、授業や部活動以外での時間を洋介は、この生徒会室で過ごしていたのである。

「分かった。じゃ、後で生徒会室に行くね・・・」

「うん、待ってるよ」

そんな会話の後、二人のダンスタイムは終わり、次に来るダンスの相手へと交代した。

別の男子学生と踊る恭子の姿を横目でチラっと見ながら、洋介は若干の嫉妬心を覚えた。それは、洋介が既に恭子を愛おしい女性と捉えている証しでもあった。二人で訪れた龍王池で、不思議な現象を一緒に体験して以来、恭子という存在に対しては、単なるガールフレンドではなく、愛おしい女性という感情が洋介の心の中で芽生えていたのである。

そして、午後六時。

学校内の校舎と校舎の間には、中庭のような緑の空間があり、そこには木造平屋建ての売店に併設する形で、広さ十平米ほどの生徒会室がある。

ひとり、生徒会室で十月の文化祭に向けた計画書を作っていた洋介は、ふと人の気配を感じて、入口ドアへ視線を向けた。すると、小さなノック音とともに、スライド式の引き戸が、ゆっくりと十センチほど開いたのである。

引き戸の開け方や時間からして、恭子に間違いないと思った洋介は、いつものように「どうぞ~」と声を掛けた。

「大丈夫、僕一人だけだよ」

洋介が二度目に発した声を聞いて、やっと安心したのか、恭子は目を輝かせながらも、恐る恐る引き戸を開いた。

「お邪魔しま~す」

そう言いながら俯き加減で恥ずかしそうに部屋の中へ入ってくる恭子の仕草は、いつ見ても愛くるしい。洋介はそう感じた。

「これ、ダンスのタキシードに仕立てた学生服。もう元に戻したから、ついでに持って来ちゃった」

「ありがとう」

体育祭の演目であるダンスタイムに着る衣装は、クラス毎に恭子を含む複数の女子生徒たちが仕立てていた。その中でも、男子学生達が着るタキシードは、黒の詰襟学ラン服に白い襟を縫い付けることで、ダンス用に作り変える作業をしていたのである。

「何か、学生服を入れる袋があればよかったんだけど・・・」

恭子はそう言いながら、会議用のテーブル席に座っていた洋介のほうへ近づいた。

「あぁ、入れ物なら、ここに紙バッグがあるよ」

そう言いながら席を立ち、壁側のカラーボックス上にある紙バッグを取ろうとした洋介の手、そして同じように紙バックへ伸ばした恭子の手が、瞬間的に触れ合ったのである。

「あっ、ごめん」

思わず洋介は、声を発して手を引いた。しかし恭子は、そのまま紙バッグを手に取ると、学ラン服を会議テーブルの上で畳み、丁寧に入れたのだった。

「はい、これ」

そして恭子は、何か言いたそうな目をして洋介を見つめている。

「ありがとう」

紙バッグを受け取りながら、洋介もまた、恭子を見つめた。すると次の瞬間、恭子はゆっくりと瞳を閉じたのだった。

『これって、つまり、ファーストキスをするってことか・・・』

洋介は、心の中で、そうつぶやいた。そして同時に、早まる心臓の鼓動からなのか、体が急に上気して熱くなった洋介は、次の瞬間、意を決して両手を恭子の肩にまわそうとしたが、なぜか動作を止めてしまい、顔を近づけることができなかった。

本当は強く抱きしめてキスをしたいのに、どういう訳か、自分の体が動かない。洋介は恭子を前にして、立ちつくす状態で数秒ほどが過ぎたのだった。

「どうして?」

瞳を開いた恭子が怒ったように頬を膨らませ、不機嫌そうに聞いた。

「北山さんの気持ち、すごく嬉しいけど、今じゃない気がするんだ。その時になったら、キスするよ」

「もういい。今日は私ひとりで帰る」

アヒル口でそう言いながら、ふてくされた表情をした恭子は、すぐさま後ろを向いて、黙ったまま引き戸を開けると、急ぐように外へ出て行った。

「あの・・・、カバン」

会議用テーブルの上に置き忘れた恭子のセカンドバッグを手にして、洋介が後を追う。

「北山さん、バッグ忘れてるよ」

洋介の声に、立ち止まり、振り返った恭子の顔は、思ったよりも柔らかな表情をしている。

「ありがと。それじゃあ、その時まで・・・、待っていいの?」

セカンドバッグを受け取りながら、恭子が言った。

「うん。いいよ」

恭子の言葉に、洋介は、なんとなくそう返事をした。

ファーストキスの求めに対し、体は熱くなりつつも反応しなかった理由は、なぜか分からない。ただ今は、二人で見つめ合う時に感じる鼓動と、頬が痺れるほどに熱くなる血潮の感覚を大切にしたい。洋介は恭子の後ろ姿を見送りながら、そう思っていた。

東京、西新宿にある中央公園のカフェテラス。午後五時を過ぎても、上空には、雲ひとつない青空が広がっている。

「あれから、二十六年も待たされたってことね」

遠くを見つめながら、恭子が言った。

「まぁ、そう・・・、なのかな」

「その言い方って・・・、もっと待つことになるって意味なのかな~?」

そう言った恭子は、いつものアヒル口をしている。

「今となっては、お互いにパートナーがいるし・・・、キスなんてすれば、ダブル不倫になっちゃうよね」

冗談っぽく笑いながら、洋介が答えた。

「じゃあ、私が独身になれば・・・」

そう言う恭子の目が、いつの間にか真剣な眼差しになっている。

「えっと・・・、あっ、あのさ~、そろそろPTA役員の引き継ぎしない?暗くなっちゃう前に」

洋介は咄嗟に、今の雰囲気を変えたいと思った。もし、このまま昔の気持ちを引きずったなら、本当に不倫に走ってしまいそうな衝動が、心の中に湧き起こっていたからである。

「はいはい。引き継ぎが残ってたわね~」

そう言って恭子は、おもむろにショルダーバッグへ手を伸ばし、中から書類の入ったクリアファイルと、USBメモリーを取り出した。そして、それらをテーブルの上に置くと、半年に一回発行される季刊誌に学校行事の記事を載せる手順を説明した。

「まずは、学校行事の写真を撮って、その時の様子やトピックを簡単な文章にするの。その後は、それらのデータを担任の先生宛にメールで送って承認してもらえたら、最後に印刷会社へ同じデータをメールで送信して完了よ」

恭子はそう言って、これまでのデータをプリントした書類や、季刊誌のバックナンバーを洋介に見せた。

「おおまかな流れは分かったけど、問題は取材と写真撮りだね」

大手旅行会社に勤務している洋介は、昨今の観光業界を取り巻く不況の中で、支店経営の立て直しを求められている課長職にいることを話した。

「三河くんも大変なのね。じゃあ、無理な時は私に連絡して。代わりに取材してあげるわ」

「えっ、いいの?」

「いまは専業主婦で、パートも何もしていないから、実際のところ結構ヒマしてるの。息子は昔から、おばあちゃん子で、今は世田谷にある夫の実家で暮らし始めてるしね」

そう言って、恭子は自分の携帯電話を取り出し。通信アプリ起動させると、自分のIDコードを表示させて、それを洋介に見せた。

「ありがとう、じゃあ、何かあったら連絡するよ」

「何かなくても、連絡していいわよ」

そう言った恭子の大きな瞳は、真剣さを帯びて見える。

「ご、ご主人って・・・、今も毎晩、遅い帰りなの?」

恭子と自分の間に漂う魅惑的な雰囲気を変えるつもりで、洋介が言った。

「そうね~、最近は週に一、二度しか戻って来ないわね。もう夫の生活基盤は、新しい彼女が住んでいるワンルームマンションと、世田谷の実家に移っているみたい」

恭子は、割り切ったような口調で言い終わると、小さくため息をついた。

「さっき、人生のシナリオについて話したけど、北山さんって、大学を卒業してから、これまでの間、かなり苦労してきたんじゃない?」

「その通りよ。どうして分かるの?」

「龍神さまのお告げは、『二十六年後は、嬉し楽しの暮らしとなる』ってことだから、単純に、その前は苦労の連続だったのかな~って思ったんだ」

「まさに、その通りだったわ」

恭子はそう言うと、就職後に配属された職場では、上司から必要以上に営業ノルマの未達を叱責されたこと、訪問先の顧客から何度も受けたセクハラ、そして結婚後は、夫が浮気を繰り返すのは妻の責任と主張する姑が、頻繁に新中野のマンションへ訪ねて来ては、家事のすべてに干渉し、今では会話がほとんどなくなっていることを、涙目になって話した始めたのである。

第七話 おわり


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