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タイムマシンは風呂だった

 趣味のひとつに博物館めぐりがあるんだけれども、以前、琵琶湖のほとり東近江の能登川博物館で、タイムマシンを見た。

 琵琶湖周辺の家庭には、昭和の頃までタイムマシンがあったらしい。
 よく見れば樽に窓付き扉をつけたものらしいとわかるが、一度中に入ったら、入ったときと同じ姿で出てこられる気がしない。それどころか出てこられない可能性のほうが高い気がする。どこか知らないところへ飛ばされるのだ。

 いったいこれは何か。

桶風呂1

 実は風呂なのだった。
 琵琶湖近辺の博物館にいくつか展示されており、地元では「桶風呂」や「ごえもん風呂」などと呼ばれさまざまなタイプがあるようだ。なかでも能登川博物館の展示品が一番奇妙な形で興味をそそられた。
 能登川博物館は東近江市にある図書館と併設の博物館である。


 学芸員の飯田さんによると、底のない丸い桶(もしくは樽)を鉄製の平釜の上に接合し、その中で少量の湯を沸かして、蒸気で桶内を温めて入るのだという。つまり湯はあるものの、どちらかというとサウナに近いものだったようだ。中に座り、腰あたりまでしかないお湯を体にかけて洗った。ぬかを入れた袋で体を擦ったそうである。

 桶風呂はたいてい一家にひとつあったが、6軒ぐらいの家が持ち回りで焚き、お互いの家を行き来しつつ入浴した。
「え、自分の家で毎日入らないんですか」
「そうです。最後はドロドロのお湯だったようです」
 んんん、それはちょっとつらい。6世帯全員が入ったら、湯も相当汚れるだろう。
桶風呂3

「このあたりは平野なので薪がなく、藁とか芝とか流木で焚くしかなかったんです」と飯田さん。
 持ち回りでもらい湯をするのは節約のためだったのだ。蓋をしてサウナのように入るのも、お湯を焚く量を減らすための工夫だった。
「夏などは日なた水を作っておいて、できるだけ少ない火力で済ますようにしていました」

 ちなみに、このような風呂があるのは主に湖北から湖東にかけてで、湖西にはないとのこと。「桶風呂」が湖北から湖東にかけてしか見られないのは、湖西は山が近いうえ人口も少なく、薪を節約する必要がなかったためと考えられそうだ。独特の文化は、地理的要因で生まれたわけだった。

 桶風呂の隣にはトイレがあり、排水をトイレの便槽に流して肥料にしていた。燃料の節約から肥料の確保、さらには下水の処理まで一括で考えられた発明品である。このタイムマシンみたいな風呂にそんな考え抜かれた理由があったとは、先人の知恵侮りがたし。
 桶風呂は江戸時代後期にはすでにあり、昭和30年代ぐらいまで使われていたという。

「扉を閉めると暗いため、怖がる子どももいたようです」と飯田さん。
 子どもが出てきたときは、ハエ男になっていたという噂もある(ウソ)。

      「サライ」2019年12月号の「ミヤタ珍品堂」より改稿して掲載

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