ブッシュ元大統領がロシアのウクライナ侵攻を批判する?
24日、ジョージ・W・ブッシュ元大統領は自身のホームページで、ロシアのウクライナ侵攻を非難し、下のように述べている。
ロシアのウクライナ攻撃は第二次世界大戦後最も深刻な安全保障上の危機をもたらしています。私は挑発的で、不当なウラジミール・プーチン大統領による挑発的で、不当な侵略を非難します。アメリカ政府と国民はウクライナと連帯しなければなりません。ウクライナの人々は自由と自らの未来を選択する権利をもっています。私たちは、プーチン大統領による権威主義的な弱者いじめとその危険を容認することはできません。ウクライナはわれわれの友人、民主的な同盟国であり、この最も困難な時期に私たちの全面的な支援に値します。
いうまでもなく、ブッシュ氏は正当な理由もないイラク戦争を主導した人物で、イラクの人々の自由と未来を選択する権利を奪い、イラクは軍事的にはアメリカにまったく歯が立たない国であった。ブッシュ氏がいうような「弱いものいじめ」とはイラク戦争のようなことを言うのだろう。ブッシュ政権は、イラクが大量破壊兵器を保有し、アメリカや同盟国、さらに国際社会にとって重大な脅威となるから戦争でその将来の脅威を取り除くという「予防戦争」を行った。プーチン大統領のウクライナ侵攻もウクライナがNATOに加盟してロシアの軍事的脅威になることを排除するという予防戦争で、イラク戦争と同様な性格をもつ。ブッシュ政権によるイラク戦争はアメリカの国際社会における信用を大いに低下させることになった。
昨年2月21日、プーチン大統領がウクライナ東部のドネツク州に「ドネツク人民共和国」の独立を認めたが、その中心都市の「ドネツク」は、元々はオレクサンドロフカとして知られたコサックの街で、ウェールズ出身の実業家ジョン・ヒューズ(1814~1889年)が開発したところだった。ヒューズは、アレクサンダーⅡ世がウクライナ南東部の石炭産業と製鉄業の開発を呼びかけたことに応じて、ウェールズから技術者や熟練工を連れてオレサンドロフカに乗り込み、製鉄所を建設した。
ヒューズの創設した工場は1913年までにロシアの製鉄所の74%までを生産するほど発展した。ヒューズは病院や、教会、学校など市の社会、文化、教育インフラを整備し、その功績によって、オレクサンドロフカは「ユゾフカ」と改称された。「ユゾフ」は「ヒューズ」のスラブ語の発音だった。1917年までユゾフカは人口67、000人の街に発展していった。ユゾフカは1961年にドネツクに改称されたが、ヒューズの功績が称えられて、彼の邸宅は保存され、この都市の中心にはヒューズの銅像が建てられている。1917年のロシア革命でウェールズ人たちは本国に帰国したが、ドネツクのサッカークラブ「シャフタール・ドネツク」はウェールズ人たちが創設したものである。
プーチン大統領は、親ロシアの分離主義勢力が活動するドネツク州などの国家承認を認めたが、ウクライナの大使がヒューズの生誕200年を2014年に記念する行事をウェールズで行うなど、ドネツクはウクライナの土地として強く意識されている。
私のメルマガでも書いたが、分離主義者の動静がありながらも、ドネツクなど東部の人々も含めてウクライナの圧倒的多くの人々が、ウクライナの独立や領土保全を支持している。それは、300万人のウクライナ人たちが犠牲になったとも言われる1932年から33年の大飢饉、ホモドールなどの過去のウクライナの悲劇がモスクワなどロシア中央のウクライナへの抑圧的な措置によってもたらされたという記憶があるからだ。
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