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保育器から出されるガザの赤ん坊たちとイスラエルにガザは統治できない

 ガザのシファ病院では燃料切れから電力が停止したために、保育器から出された赤ん坊は死んでいくのを見ているほかないと医師が語るなど見るに堪えないほど悲惨な状態が続いている。国際社会の呼びかけにもかかわらず停戦に応じないイスラエル軍の行動は国際人道法に違反することは明白だ。

電力がないために保育器から取り出され、シファ病院の新生児たちが死んでしまう まったく許容できない https://www.theguardian.com/world/2023/nov/12/under-bombardment-gaza-medics-fight-to-save-patients-with-no-power-water-or-food


 イスラエルのネタニヤフ首相はハマスとの戦闘終了後のイスラエルのガザ地区管理について口にし始めた。

 イスラエル占領時代のガザはアパルトヘイト時代の南アフリカのバンツースタン同様だった。ガザでは、1967年の第三次中東戦争から第一次インティファーダ(蜂起:1987~93年)の間、イスラエルはガザの経済とインフラを軍事力で支配し、またパレスチナ人たちを安価な労働力として利用した。イスラエル国内でガザの人々を雇用する一方で、パレスチナ人たちはガザに閉じ込められたが、その様子は南アフリカのバンツースタンそのものだった。

 1993年のオスロ合意から2005年までの間、イスラエルはパレスチナ自治政府の統治を認める一方で、それまでガザ住民が行っていたイスラエル国内での労働をアジアや東ヨーロッパの人々が替って行うようになった。イスラエルで雇用されなくなったガザ住民たちは、イスラエルや西岸に移動することがほとんどなくなったし、ガザからの自動車での移動は停止した。2000年代後半になると、イスラエルは分離壁を建設し、数多くのチェックポイントを設けた。ガザは強制収容所のようになり、経済は疲弊していった。

議会公聴会で赤く塗った手を挙げて抗議する https://www.reuters.com/world/wars-rage-biden-administration-make-case-106-billion-ukraine-israel-2023-10-31/


 2000年9月に始まった第二次インティファーダの激しさによって、イスラエルは入植地と軍の撤退を決定した。2000年から2005年の間、ガザのユダヤ人人口は、イスラエルとパレスチナを合わせたそれの1%に過ぎなかったが、インティファーダの犠牲者の10%はガザに住むイスラエル人だった。そしてイスラエル兵の犠牲者のうち40%がガザで亡くなっている。つまりガザ占領はイスラエルにとってもコストが大きいもので、ネタニヤフ首相が言うようにイスラエルを再び占領すればイスラエルはかつてと同様な負担を背負うことになる。

 ガザの脅威は、ガザ領内だけに存在していたもので、イスラエル軍のガザからの撤退とガザ封鎖によってイスラエルはガザからの自爆攻撃の脅威を減じることができた。

 イスラエルは2007年からガザ封鎖を行い、ガザでは、2008年初めの時点で、90%の私企業が閉鎖に追い込まれ、80%の住民が食糧援助に頼り、建設事業はストップし、失業率はかつてないほど上昇することになった。イスラエルは、エジプトからガザに家畜ももち込まれているために、家畜用のワクチンは素早くガザに供給したものの、ガザの住民には十分な食糧を提供することがなかった。家畜の疫病はイスラエル人の安全にとって有害だが、ガザ住民の食糧には関心を示すことがないままだった。イスラエルにとって重要なのはガザの家畜の健康であり、住民たちのそれではなかった。

ハーバード大学の学生たちはガザで亡くなった子どもたちの名前を書く https://www.tiktok.com/@taimur1915/video/7299770493257927968


 イスラエル軍がガザから撤退したものの、ガザに対するイスラエル支配の実態はほとんど変わらぬままだった。実質的にイスラエルはガザを占領しているが、イスラエルには占領国として国際法によってガザ住民の人道支援を行うことがなかった。軍事的にイスラエルは、ガザの空域や沿岸をパトロールし、警備のための堅固な施設を建設し、またガザ領内に緩衝地帯を設けた。これは単に緩衝地帯を東に数キロ移動したに過ぎなかった。税の徴収、通貨、商業は、イスラエルの管理の下にあり、水や電力、コミュニケーションはイスラエルに依存したままである。また、住民登録もイスラエルの手にゆだねられている。

 ナクバ以来、イスラエルとアラブの戦闘、イスラエル軍の発砲などで亡くなったパレスチナ人は10万人を超えると見られている。イスラエルは2007年以来、ガザ地区を経済的に封鎖し、ガザは「世界で最も大きい刑務所」と言われ、230万人の人口の80%が人道支援に頼って生活している。95%の人々が清潔な水を利用できないことがガザ住民の保健、衛生に影響を及ぼし、また住民の半数に十分な食料がなく、子どもの約60%が貧血状態になるなど、多くの子どもたちが栄養失調によって成長を阻害されてきた。

アメリカは大使館をエルサレムに移転したけれども、国連安保理決議478号ではエルサレムで外交活動を行ってはいけないと定められている。


 パレスチナ系の米国人思想家のエドワード・サイード(1935~2003年)は、シオニズムはヨーロッパ植民地主義の原則がパレスチナに移入されたもので、欧米諸国はパレスチナ人たちが置かれた苦境に配慮することがないと語った。サイードは、西洋のオリエント認識は人種主義に基づくもので、西欧的な考えに同化しない人種に冷淡なのだと主張した。シオニズムは、元々パレスチナに住んでいた人々の存在を否定し、排斥する傾向にある。サイードは、世界各地の人権侵害を批判する欧米諸国がイスラエルのパレスチナ人抑圧を問題にすることがない「偽善」を指摘した。

たとえ、人種やことばがちがっていても、同じ人間なら、この子どもの表情が
なにを物語っているか、感知できるはずだ。この表情からよみとれるのは、
たくさんの疑問符だ。「どうして、わたしがこんな目にあわなければならないの?」 
「なぜ、わたしが?」「どうして、わたしが?」「わたしがどんなわるいことをしたの?」
イスラエル軍によるガザ空爆で負傷した子供の写真を紹介するイルコモンズの文章よりhttps://illcomm.exblog.jp/9123253/

シファ病院で https://www.shifa.com.pk/obstetrics-and-gynecology/


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