アメリカ社会に初めて響くアザーンはブルースの起源だった
米国ミネソタ州東部にあるミネアポリス市(人口43万人ぐらいで、ミネソタ州最大の都市)は4月に市議会がモスクからの礼拝への呼びかけである一日5回の「アザーン」が拡声器を使って屋外に行われることを認めた。米国の主要都市では初めての、いわば歴史的措置である。
夜明け前と夕方のアザーンも認められた。イスラム諸国を訪問された方なら経験が必ずあると思うが、モスクのミナレット(尖塔)の拡声器から聞こえてくる夜明け前のアザーンは目覚まし時計のように、早起きするのには都合がよい。また、イスラム諸国に来たことを実感することにもなる。 アザーンを唱える人を「ムアッジンmu’adhdhin」と呼び、アザーンはアラビア語で次のように呼びかけられる。「アッラーは偉大なり。私はアッラーのほかに神はなしと証言する。私はムハンマドがアッラーの使徒なりと証言する。いざや礼拝に来たれ。いざや繁栄のために来たれ。アッラーは偉大なり。アッラーのほかに神はなし。」 早朝の礼拝のアザーンには「礼拝は眠りに勝る」という文言が入る。
トランプ政権時代、イスラム系移民が禁止されるなどイスラムは冷遇された印象があったが、ミネアポリス市の措置はイスラムが米国社会の文化の一つになりつつあることを示すものでもある。米国の憲法で保障された宗教の自由がイスラムにも認められたと喜ぶ米国在住のムスリムもいる。
アザーンはイスラムの信仰の根幹である一日5回の礼拝の前に行われる。礼拝は、信仰告白(「アッラーのほかに神はない、ムハンマドはその使徒であると唱えるもの」)、喜捨(救貧税)、断食、巡礼と並んで五行(ごぎょう)、あるいは五柱(ごちゅう)と呼ばれるイスラムの最も基本的な宗教義務である。日本の場合もそうだが、米国ではアザーンはモスクの中で行われ、またラジオを通じてアザーンは放送されてきた。2004年ミシガン州のハムトラムク市(人口3万人弱)はムスリムが多数の市だが、アザーンが公式に認められた。ただ、日本の場合、仏寺の鐘が聞こえるように、アザーンが拡声器で呼びかけられるのが禁止されているわけではない。
米国にやってきたアフリカの奴隷の30%は、西アフリカや、ガンビア、カメルーンなど中央アフリカから奴隷として連れてこられたムスリムだったとされている。奴隷のムスリムたちはイスラムの信仰を放棄することを強制され、出身地域の文化や伝統から切り離された。アフリカ奴隷の歴史を研究するシルヴィアン・ディウーフ(1952~)によれば、ムスリム奴隷たちは主人たちからの棄教の強制にもかかわらず、習慣や伝統を保持しながら、それを独自の方法で表現するようになった。ディウーフは、アメリカのブルースには、奴隷時代からのイスラムの影響を見てとることができると述べ、黒人労働歌の「リーヴィー・キャンプ・ハラー(かけ声)は、イスラムの礼拝への呼びかけである「アザーン」と音調が似ていると主張する。(「リーヴィー・キャンプ・ハラー」は下に動画があるが、確かにアザーンのかけ声と重なるものがある。
アフリカのムスリム奴隷たちは、出身地の楽器を使うことは禁じられたが、アメリカで普及したバンジョーなどの弦楽器を用いて彼らがひき継いだ伝統的な音楽の情感を表現するようになった。
ブルースは、アメリカのカントリー&ウェスタンからロック、さらにはジャズのような他の音楽ジャンルにも影響を及ぼしたが、ジョン・コルトレーンの『至上の愛』(A Love Supreme)は、イスラム神秘主義のズィクル(神を想起する修行法)に影響されていると『反抗の音楽(Rebel Music)』の著者であるヒシャーム・アイディは述べている。イスラム神秘主義の修行者たちは、集団でズィクルを行い、神の名(アッラー)を繰り返し唱え、精神をアッラーに集中させ、アッラーとの合一を目指した。
アイキャッチ画像は夜明け前のモスク、下のページより
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