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不正に対する抵抗のシンボルの歌-「サクランボの実る頃」

 全国各地で桜の満開が伝えられるようになった。桜は万葉集などで無常を表すものとして詠まれてきた。

世間も常にしあらねばやどにある桜の花の散れるころかも
(世の中も無常であるがごとく、桜の花もこうして散っていくものだ。)

「サクランボの実る頃」
さくらんぼの実る頃を歌う時、
陽気なナイチンゲールや
おしゃべりツグミが浮かれ出す。
きれいな娘たちはのぼせ上がり
恋人たちは心も朗らかになる
サクランボの実る頃を歌う時、
おしゃべりツグミもずっと上手にさえずるだろう。
私はいつまでもさくらんぼの実る頃を愛する。
その時から私の心に残る ざっくりと開いた傷口!
運命の女神が私のもとにつかわされても
この苦しみが癒えることはないだろう
私はいつまでもさくらんぼの実る頃を愛する
そして心に残るあの思い出もまた!


 この有名なフランスのシャンソン「サクランボの実る頃」の詩は詩人ジャン・バティスト・クレマンのパリ=コミューン時代の経験を基にし、シャンソン・アンガージュ(プロテスト・ソング)のジャンルに含まれている。彼はパリのフォンテーヌ・オ・ロワ街のバリケードで20歳ぐらいの若い女性に会った。彼女は野戦病院付の看護師で籠を手にしていた。サン・モール街のバリケードが陥落したので、こちらの方に何か役立つことはないかとクレマンたちに言ってきた。「われわれは、彼女を敵から守れるかどうか分からないといって断ったにもかかわらず、彼女は頑として、われわれのそばから離れようとはしなかった。/われわれが知ったのは、ただ、彼女がルイズという名前で、婦人労働者だということだけであった。」/後年─1885年、『シャンソン集』刊行に際して、クレマンは、かれのもっとも有名なシャンソン、『さくらんぼの実る頃』を、この英雄的な娘ルイズに献じている。」(大島博光著より)パリ=コミューンは普仏戦争後にドイツ帝国との講和条約を結んだフランス臨時政府に反旗を翻した1871年3月18日から5月28日まで継続した市民・労働者による革命政権で、革命政権によって逐われ、ベルサイユに逃れていた臨時政府(ベルサイユ政府)によって制圧されて3万人が犠牲になった。クレマンや看護師ルイズのエピソードはロシア軍に抵抗するウクライナ市民の姿に重なるようだ。

パリ・コミューン150年記念 「パリ燃ゆ―名もなき者たちの声」 大佛次郎記念館 https://www.artagenda.jp/exhibition/detail/6512


 1912年にアメリカ・ワシントンに桜を贈った東京市長の尾崎行雄(1858~1954年)は、その後1919年に第一次世界大戦後のヨーロッパを視察し、「戦争は勝っても負けても悲惨な状況をもたらす」と平和主義、国際主義の必要を説いた。「国家至上主義は利己的で、狭い利益にとらわれた島国根性」「国家同士が互いに自国の利益独占を求めれば、当然そこに衝突が生じる。それではいつまでたっても戦争はなくならない。今求められるのは、国家至上主義ではなく国際協調主義であり、愛国心ではなく人類愛である」と主張した。まさに今のウクライナの状況を言い表しているかのようだ。


ワシントンの桜 https://www.arukikata.co.jp/web/article/item/1003183/


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