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カトリック神父がエルサレムのイスラムの聖地の防衛を訴える

「被造物の間の差異は外的な形に由来する。人が内なる意味を理解したとき、そこには平和がある。おお、存在の精髄よ! イスラム教徒、ゾロアスター教徒、ユダヤ教徒の間に差異が生ずるようになったのは、観点の違いのためである。」―井筒俊彦訳『ルーミー語録』


 エルサレムのマヌエル・ムサッラム神父(カトリック)は、昨年4月、パレスチナのクリスチャンはムスリムとともに、エルサレムのイスラムの聖地アル・アクサー・モスクを防衛するよう訴えた。ムサッラム神父は人権組織「エルサレムの正義と平和のための世界人民機構」の指導者も務める。

 このムサッラム神父の訴えは、イスラエルのユダヤ極右組織が、過越祭(すぎこしさい〔パスオーバー〕イスラエル人が隷属から解放され、エジプトを脱出したことを祝うユダヤ教の休日、通常7、8日続く)の期間にアル・アクサー・モスクを襲撃することを呼びかけたことに危機感を抱いたものだ。ユダヤ極右派はアル・アクサー・モスクを破壊し、そこにユダヤ教の神殿を建てることを主張している。

 ムサッラム神父は、「我々はアル・アクサー・モスクと聖墳墓教会を死ぬ覚悟で守り抜く。決してこれらの聖地の鍵を渡すことはない」と述べた。彼は、エルサレムではクリスチャンはアル・アクサー・モスクを守り、ムスリムは聖墳墓教会を守ると述べ、これら二つの宗教の連帯を強調した。

 イスラエルでは1月に極右を含む政権が成立したが、政権与党の極右政党「ユダヤの力」のベン・グヴィール党首(46歳)はイスラエルとパレスチナ全域からパレスチナ人の排斥を主張し、ハラム・アッシャリーフの敷地内に再三足を踏み入れ、ハラム・アッシャリーフにユダヤ教の神殿を復活させることを主張している。

 エルサレムは、メッカ、メディナに次ぐイスラム第三の聖域で、最初のキブラ(礼拝の方向)で、その後メッカに変更された。イスラムの預言者ムハンマドが「夜の旅(イスラー)」の末に「昇天(ミウラージュ)」したところと解釈されている。

 638年に第二代カリフのウマル・イブン・ハッターブがエルサレムに入城すると、ユダヤ教の聖地であった「神殿の丘」は完全に破壊され、荒廃している姿を目の当たりにした。692年までにムスリムたちが集えるアル・アクサー・モスクを建立し、またウマイヤ朝(661~750年)第5代カリフのアブドゥル・マリク・イブン・マルワーンは、688年から91年にかけて預言者ムハンマドが昇天したところに「岩のドーム」を建立した。

 パレスチナではクリスチャンとムスリムの対立はなく、両者ともに「神」のことをアラビア語で「アッラー」と呼び、日々の挨拶は「アッサラーム・アライクム」(直訳は「あなたがたの上に平安がありますように」)と声かける。イスラエル支配からの解放闘争でハイジャックなど先鋭な活動方針を担った「PFLP(パレスチナ解放人民戦線)」の創設者・指導者であったジョルジュ・ハバシュはギリシア正教会のクリスチャンだった。シオニストたちがパレスチナに流入する以前はユダヤ人と、イスラム、キリスト教徒の対立もなかった。


縮小するパレスチナ

 そもそも、エルサレム旧市街はイスラエルが1967年の第三次中東戦争で占領したところで、イスラエルの治安部隊は国際法に反して占領地で活動している。国連安保理決議476号(1980年6月)は「聖地エルサレムの性格と地位を変更しようとする占領国イスラエルによる全ての立法上および行政上の措置と行動は、法的効力を持たず、ジュネーブ第4条約の明白な違反である」としている。

アイキャッチ画像はマヌエル・ムサッラム神父
https://www.middleeastmonitor.com/20210529-senior-catholic-priest-calls-for-online-voting-to-elect-new-plo-leadership/?fbclid=IwAR3CWBisfVLIK-e1VtQocsuGGuXUtP-BZ75qny95B9vPFUMoBxqcUDxrvGM


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