ヴァスコ・ダ・ガマの「大航海」はイスラム、キリスト教、ユダヤの協力で可能だった
「ムーア人」と呼ばれたムスリムたちは8世紀、北アフリカから船で現在のポルトガルやスペインに到達し、後(こう)ウマイヤ朝を創始した。多くのクリスチャンの住民たちがイスラムに改宗し、10世紀までにイベリア半島の住民の半分はムスリムになったと推定されている。その後5世紀の間、ムスリムは現在のポルトガルを支配したのだが、現在ポルトガルの学校の「歴史」の授業ではイスラム支配はごく簡単にしか教えられておらず、十字軍によって支援を受けた「レコンキスタ(国土回復)」などに強調が置かれる。ポルトガルにおけるレコンキスタは、スペインよりも早く13世紀に完了した。このレコンキスタ完了よりポルトガルのアイデンティティの中心にあるのはキリスト教であり、イスラムはその対極にあるというイメージがつくられていった。
現在、全人口が1000万人を少し超えるポルトガルでは、ムスリム人口はわずかに0.5%にすぎない。イスラムとキリスト教、ユダヤ教が共存し、そのことがポルトガルなどイベリア半島が世界の文化や科学の中心となった理由や背景であることを強調するような歴史を学校では教えてほしいと語るポルトガル在住のムスリムもいる。
ポルトガルの学校教育では、ポルトガル最大の詩人とされるルイス・デ・カモンイス(1524年頃~80年)の叙事詩『ウズ・ルジアダス』が読まれるようになっている。『ウズ・ルジアダス』はポルトガルの王たちの栄光や、インドへの大航海を成功させたヴァスコ・ダ・ガマ(1469頃~1524年)の「偉業」を称賛している。アフリカの喜望峰を廻るガマの大航海は、地中海を支配していたアラブ商人たちのスパイス交易の独占を切り崩すことになった。
ガマが1498年、インドのインド西海岸マラバール地方、アラビア海に面したカリカットに到達できたのは、アフリカ東岸マリンディで雇った水先案内人のイブン・マージド(1436頃~1500年頃)の役割が大きかったとも言われる。イブン・マージドはインド洋で活躍したアラブ系の水先案内人で、航海術書や水路誌を多数著した。伝統的な航海技術と自らの経験を、航海、天文学、地理学などを研究することによって補い、その成果を詩作の形で残していった。また、スペインのユダヤ人アブラハム=ザクートは天体観測の実習を乗組員に指導したり、自らがもつ「万年暦」や赤緯表など遠洋航海術で協力したりするなど、ヴァスコ=ダ=ガマの大航海は、イスラム、ユダヤ、キリスト教の信徒たちの「合作」によって可能になった。
ポルトガル王国のマヌエル1世(在位:1495~1521年)は、1496年にユダヤ人とムスリムを追放し、王国をキリスト教徒だけの国にし、シナゴーグやモスクは壊されるか、キリスト教会など他の目的に転用された。2015年にポルトガル政府はユダヤ人の追放を公式に認めて謝罪をしているが、ムスリムについはそのような措置をとっていない。
イスラムが残した文化遺産を知ることは、それが他者のものではなく、自身の一部であることを意識することになり、イスラムをヘイトしたり、排除したりする意識を希薄にさせることにもなる。ヨーロッパでイスラム・フォビアが台頭する中で、自国の歴史や文化へのイスラムの貢献やその遺産を学校教育で教えることは肝要なことだと思う。
アイキャッチ画像はガマの大航海
https://ameblo.jp/wakamiyaozi/entry-12301303575.html
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