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イスラムとユダヤが共存していた国スペインはイスラエルの「無差別殺りく」と「アパルトヘイト」を非難する

 スペインではガザでの即時停戦を求めるデモはドイツやフランスなどとは違って制限なく行われている。スペインがイスラエルと国交を結んだのは1987年と遅かった。イスラエルの独立は1948年だが、ナチス・ドイツと近い関係にあったフランコ政権に対するイスラエル側の躊躇がその背景にあったようだ。2015年にスペインは1492年にユダヤ人を追放した反省からセファルディム(スペイン・ポルトガルに定住していたユダヤ人)がスペイン国籍を取得することを認めるようになった。

占領者には自衛権はない


 昨年11月末にスペインのペドロ・サンチェス首相とベルギーのアレクサンダー・デ・クルー首相の両首脳は共同声明を発表し、ガザ地区における無辜の市民のイスラエルによる無差別殺戮を容認できないと非難し、国際社会と欧州連合(EU)がパレスチナ国家を公式に承認する時が来たと訴え、戦争で荒廃したガザにおける永続的な停戦を呼びかけた。

スペイン ガザ停戦を呼びかけるサンチェス首相 意志が強そうだ https://www.politico.eu/article/pedro-sanchez-spain-humanitarian-ceasefire-gaza-israel-hamas-war/


 これに対してイスラエルのエリ・コーエン外相は、スペインとベルギーの主張はテロリズムを支持する「虚偽」だと非難し、駐スペインとベルギーのイスラエル大使を召還した。

 スペインの社会権利大臣で左派政党ポデモス党首のイオネ・ベラーラ氏も、昨年11月上旬にアルジャジーラのインタビューに答えて、欧米諸国の対応にはロシアのウクライナ侵攻とイスラエルのガザ攻撃の間に明らかな二重基準があると非難し、ネタニヤフ首相を国際刑事裁判所に提訴すべきであると呼びかけ、イスラエルのガザ攻撃は綿密に計画されたジェノサイドであると主張した。彼女はヨーロッパ諸国で初めてイスラエルの攻撃を非難する抗議活動に参加した閣僚だった。

ベラーラ元社会権利相 ヨーロッパでは女性の政治家が輝いている。。 https://www.lavozdegalicia.es/noticia/espana/2023/05/01/belarra-presenta-podemos-dique-psoe-derechice/0003_202305G1P12994.htm


 昨年11月24日、バルセロナ市はガザ紛争で恒久的な停戦が成立しない限りイスラエルとの関係を断絶すると宣言した。この宣言はハマスとイスラエル双方による民間人に対する攻撃を非難するとともに、ガザ住民に対するイスラエルの集団的懲罰、強制退去、住宅や公共インフラの破壊、エネルギー、水、食料、医薬品の供給の停滞に対して抗議を行っている。これをハマスが歓迎し、ハマスは、このバルセロナ市議会の決定が人道主義、自由や正義の価値観の勝利だと主張し、世界の都市がこれに続くことを呼びかけた。

バルセロナ市 サグラダファミリア https://jp.hotels.com/go/spain/best-things-to-do-barcelona


 2016年12月29日にバレンシア州の地方議会は、バレンシア州がイスラエルのアパルトヘイトとは無縁の都市であると宣言したが、バレンシアにはイスラエルに抑圧されているパレスチナ人に対する強い同情や共感がある。

 バレンシア市は、人口80万人のスペイン第三の都市だが、人口の13%近くが外国籍で、欧州議会のページでも「多様な文化が交わる街」と紹介され、その多様性ゆえに、イスラエルによるパレスチナ人の排除、排斥は許容できないようにも見える。多様な文化を発展させ、コルドバを首都とするイスラムの後ウマイヤ朝のバレンシアに対する支配は714年から始まり、この王朝の下で多様な文化を発展させた。

スペイン・バレンシア https://www.world-wlp.com/performance/study-in-valencia-spain/


 後ウマイヤ朝の創始者アブドゥッラフマーン1世の息子であるアブドゥッラーは、バレンシアに自治を与え、郊外に都市ルッサーファ(現在のルザファ)を建設し、バレンシアはアラブ風に「バランスィーヤ」と呼ばれて、10世紀から繁栄することになった。

 バレンシアでは紙、絹、皮革、陶器、ガラス、銀細工などが流通するようになり、イスラム時代の建築物は旧市街の城壁、公衆浴場のバーニョス・デル・アルミランテ、モスクのミナレットを改修したエル・ミゲレテなど、バレンシア観光の目玉であり続けている。スペインでは、イスラム後のキリスト教支配は、イスラムの文化遺産を大事に扱った。

 ムスリムは従来の階級社会に代わって、家族や部族社会の絆を重視する文化をもたらしたが、スペインは他のヨーロッパ社会よりも、家族や氏族、部族的つながりが現在でも重要とされている。ムスリム支配は、宗教的にも寛容で、先住の人びとの宗教を含めた世襲的特権も維持された。ムスリムたちは灌漑システムをもたらし、それは高い農業生産や社会の安寧につながった。イスラム時代に人口増加が見られたのは、ムスリムたちがもっていた先進的な医療も背景にあり、彼らは食物の腐食の軽減に役立つ香料の文化や、飲料水にワインを混ぜて消毒する習慣もバレンシアにもたらした。

 イスラム時代に築かれた多様な文化や社会の伝統、また様々な文明と交流してきたこともあって、スペインではパレスチナ人の人権を侵害するようなイスラエル極右の排他的ナショナリズムに自ずと反発する背景が備わっているように思う。スペインを愛好した俳優の天本英世氏は「スペイン人は個性が強いが、同時に他人も認めていて非常に寛容だ。」と述べ、また堀田善衛は「イスラム教徒は如何なる意味でも“外敵”ではなかった。」(堀田善衛著『ゴヤⅠ スペイン・光と影』)と書いている。イスラム教徒が「外敵」のイスラエルとはえらい違いだ。

表紙の画像はスペインの女優
ブランカ・スアレス
https://www.pinterest.jp/pin/357754764130382692/



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