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「文明の衝突」への疑問と宗教による平和構築

 「文明間の衝突」はハーバード大学教授サミュエル・ハンチントンが1993年に論文で発表した政治理論で、冷戦後の世界は東西対立というイデオロギー対立が消滅するものの、宗教に基づく文明間の対立が顕著に見られていくというものだった。ハンチントンがこの理論を最初に口にしたのは、その前年の「アメリカ企業研究所(AEI)」というネオコン(新保守主義)の研究所であったところからも、常に「敵」が存在しなければならない米国の軍産複合体にとっては都合がよいものであったに違いない。ハンチントン理論がイラク戦争をはじめとする米国の「対テロ戦争」に都合よく役立ったことは想像に難くない。

 そのハンチントンに師事したフランシス・フクヤマも『歴史の終わり?』の中で、「人間の政府の最終形態としての自由民主主義」「経済的自由主義」が最終的な勝利を収めることで人類発展としての歴史が「終わる」と主張した。

 エドワード・サイードは、ハンチントンの理論を「無知の衝突」と皮肉り、世界の相互依存性、文化の相互作用を無視し、最も嫌悪すべき人種主義、アラブやムスリムに向けたヒトラー的な主張であると訴えた。

 米国の言語学者のノーム・チョムスキーは、「文明の衝突」は、米国がソ連の脅威がなくなった後で、あらゆる残虐行為を正当化するための理論であると批判した。

 サイードは「人間社会の現実(リアリティ)を異なる文化、歴史、伝統で分かち、それがヒューマンな結果をもたらすであろうか」と述べている。「文明の衝突」理論は「オリエンタリズム」でオリエントを蔑む傾向がある西洋を批判したサイードの考えとは当然相いれない。つまり「文明の衝突」、つまり宗教と文化に起因する政治的暴力には「否定的な価値をもった他者」と「自己」を峻別しようとする意識が強く存在する。


 いわゆる「イスラム過激派」や冷戦後に発生した民族・宗派対立による紛争は、政治的なアイデンティティ(つまり自らがどの政治集団に所属しているかという意識)、民族・宗派を自らの権力強化に利用しようとしている政治家たち、さらには「殉教」を唱える似非「宗教指導者」などによって起こされ、激化し、多くの市民たちが犠牲になっている。

 「文明の衝突」を乗り越えるにはサイードが主張するように、文明の中の多様性が強調され、その多様性が多くの人々によって共有され、寛容な意識が育まれることだ。イスラム文明の中で、ユダヤ人たちはオスマン帝国の中では排斥されることなく、その経済発展に多大な貢献を行った。クロアチア出身の神学者のミロスラフ・ヴォルフは、「正しく、確固たる教義に基づく宗教アイデンティティとは、戦争などの政治的暴力ではなく、本来紛争解決や和平構築の際に現れる」と述べている。カナダのモントリオール大学教授のヤコヴ・M・ラブキン氏は「伝統的ユダヤ教徒の根底にあるのは、国家に依存しない『絶対的平和主義』であると主張する。キリスト教でも、イエスの言葉として、「悪人に手向かってはならない。だれかがあなたの右の頬を打つなら、左の頬をも向けなさい」(マタ5:39)や「敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい」(マタ5:44)などがある。本来の宗教とは、平和や安定を破壊するものではなく、むしろそれらを建設する役割を担うものだ。

アイキャッチ画像はイランの女優
タルラーン・パルヴァーネ
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