12月10日にオンエアされた「NHKスペシャル 自衛隊 変貌の先に “専守防衛”はいま」では岸田政権の下で安全保障政策が大きく転換され、自衛隊の現場では実戦が意識された訓練が米軍やドイツ軍などと行われるようになり、反撃能力の保有によって、ミサイルを格納する武器庫の拡張工事が行われるなど、地域住民の不安の声も増幅するようになっている様子が紹介されていた。自衛隊員、またその家族、武器庫の近隣に住む人々の葛藤には深刻なものがあるという印象を受けた。先日、タクシーに乗ったら運転手さんの友人は富士山麓から沖縄に行って当分返ってこれないと話もあったが、政府の決定は自衛隊員の生活をも大きく変えようとしている。番組では防衛省元事務次官が述べていたが、国民の間、また国会でも十分な議論を経ないままに、一部の政治家の思惑に自衛隊員や家族、また住民たちが振り回されている印象で、私たち国民が意識しないままに日本はいつの間にか戦争を行える国になっている。
阪神・淡路大震災や東日本大震災で瓦礫の撤去、道路・橋の復旧など災害派遣に従事していた自衛隊の施設科と呼ばれる部隊は、徳之島など南西諸島の基地化に活動の重点を移すようになった。災害に直面し日本国民の生命のために活動する自衛隊の姿は自衛隊員たちの誇りでもあったが、家族たちも一家の大黒柱の「戦死」を想定するようになっている。徳之島に派遣された施設科の隊員は、自衛隊が戦う島は琉球石灰岩でできていますので、我々の活動は石灰岩との勝負が中心になると語っていた。現在、施設科の活動は南西諸島の地上で戦うための備えになり、徳之島の海岸に障害物を設置した訓練も行われている。有事になれば、施設科は敵に最も近い場所での活動を求められることになる。陸曹長の家庭では食事の際に子どもたちから「パパ、銃をもって何しよる?」「戦争行かんやろ?」「自衛隊が一番に出されるやん」などの発言があり、自衛隊を取り巻く環境が大きく変化していることを家族も案じるようになった。子どもたちの学校など教育や生活環境も大きく変わったことだろう。
日本の安全保障政策は、いつも国民の間の議論を回避するように転換してきた。1980年代のイラン・イラク戦争中、中曾根康弘首相は自衛隊のペルシャ湾地域への派遣に前向きで、閣議に諮ろうとしたが、後藤田正晴官房長官は閣議決定にはサインしないと反対を唱え、閣議決定は閣僚全員の賛成が前提のために、自衛隊は派遣されることがなかった。後藤田氏は自衛隊の派遣を一旦認めてしまえば、「専守防衛」という原則が大きく崩れ、日本は戦争ができる国になってしまうと主張した。
後藤田氏は「自衛隊が一発でも発砲すれば、戦争に巻き込まれる。憲法は戦争放棄と書いている。憲法に反するということはできない。アメリカが言うからってどうってことはない。」と突き放した。後藤田官房長官は閣議に諮られても私はサインしませんと主張した。「閣内が不一致ならば、内閣は総辞職である。中曽根首相はあきらめざるをえなかった。」(「後藤田正晴ロングインタビュー」より)
「政治家がいつも考えなければならないのは、国家、国民の運命である。そのためには、不断に勉強していなければならないが、特に歴史の教訓、国家の興亡の歴史に学ぶことが大変重要なことではないかと思う」(後藤田正晴『政治とは何か』)
敗戦によって台湾で捕虜になった後藤田氏は日本が戦争で破滅していく過程を知っていて、戦前、軍部はなし崩し的に政治に介入し暴走していったが、その歴史の教訓を忘れてはならないと考えていたのだろう。
その後、日本は小泉政権時代に、根拠もまったくデタラメなイラク戦争に、自衛隊をイラク・サマーワに派遣するなどの協力を行った。この時も閣議決定によって自衛隊の派遣が決定された。2014年7月1日に集団的自衛権行使容認に向けた解釈改憲の「閣議決定」を行うと、北海道新聞は「なし崩し的に自衛隊の海外での武力行使に大きく道を開く内容だ」「とても歴史の審判に堪えられない。憲法の平和主義をねじ曲げ、国を誤った方向に導く」と主張した。多くのメディアの論調は同様であった。
国民は自衛隊の変貌の姿を知ることがないままであるというナレーションで番組は結ばれている。折木良一元統合幕僚長は安全保障の観点からもっと議論をしてほしいと主張する。また、黒江哲郎元防衛事務次官は、専守防衛の下で何を変えようとしているか国民に対する説明がもっと必要と語った。岸田首相は防衛費倍増、反撃能力には並々ならぬやる気を示したが、活動の変化の細部について日本社会にどのような影響を及ぼすかなど深い考えもなく進めてしまったような気がしてならない。