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エジプト人の日本への讃嘆と、日本の大震災の惨禍からエジプトの詩人が教える日本の本当の安全保障とは?

 国民の安全は、武器などの軍事だけによって守られるものではない。明日で東日本大震災が発生してから13年になる。今年は元日に能登半島地震が起きたが、自然災害への備えや対策は国民の命を守るために欠くことができない。復興税は防潮堤の建設や土地のかさ上げなどに使われてきたが、これを防衛予算に回すことを岸田政権は検討している。

 産業革命によって経済的富と軍事力を身に着けたヨーロッパ諸国は19世紀になると、イスラム世界にも進出していった。イギリスは1875年にスエズ運河株を買収し、翌76年にエジプトが財政破綻すると、その財政はイギリス、フランスの共同管理下に置かれることになった。この外国による財政管理に反対して立憲政治を要求するアラービー大佐を指導者とする運動は、イギリスによって1882年に鎮圧されて、エジプトはイギリスの事実上の保護国となった。1904年4月に英仏協商が成立し、イギリスはフランスのモロッコ支配を認める代わりに、イギリスのエジプト支配をフランスに認めさせる。このように、北アフリカも英仏の帝国主義によって分割されることになった。

カイロのオペラハウスでの公演 このオペラハウスは日本がつくった https://www.egypttoday.com/Article/4/38861/Cairo-Opera-House-announces-plans-for-a-busy-2018


 エジプトなどイスラム世界がヨーロッパの帝国主義勢力によって苦しめられ、屈辱的な状態に置かれる中で、1904年2月から翌05年8月のポーツマス条約まで継続した日露戦争で日本が強国のロシアに勝利したことはイスラム世界で驚嘆や敬意の想いで受け止められることになる。

 日露戦争が始まるとエジプトでは1904年6月に、ムスタファー・カーミル(1874~1908年)の『昇る太陽』が出版された。カーミルは「墓場から甦って大砲と爆弾の音を響かせ、陸に海に軍隊を動かし、政治上の要求を掲げ、自らも世界も不敗と信じていた国を打ち破り、ほとんど信じ難いまでの勝利を収め、生きとしいけるものに衝撃を与えることとなったこの民族とは一体何者なのか。かの偉大な人物(天皇)とは何者なのか。いかにして全世界を照らし出す昇る太陽を、目のあたりにすることになったのか。今やだれもが驚きと讃嘆の念をもって、この民族についての問いかけを口にしているので説明するために、また、エジプト人を目覚めさせ、若い世代を導くために、この本を書いた」と述べた。

大エジプト博物館 総工費約1400億円のうち、842億円が円借款で賄われる。 https://digital.asahi.com/articles/DA3S14190681.html?iref=pc_photo_gallery_bottom


 ロンドンでの留学を終えた若き孫文が、帰国の途中スエズ運河を通過するためポート・サイードに立ち寄った際に、5、6人のエジプト人に取り囲まれ、「日露戦争で日本が勝ったらしいが、あなたは日本人か」と尋ねられた。孫文が「残念ながら中国人だ」と答えると、エジプト人たちは、中国は日本の近くなのだから、どうか日本人に伝えてくれ。我々は、日本がロシアに勝ったことを我がことのように喜んでいると。我々も日本を見習って、植民地主義と戦っていきたいのだ」と伝えてくれと孫文に頼んだというエピソードを、1924年に来日し、神戸で「大アジア主義」という講演をした際に語っている。

 また、エジプトの国民的詩人ハーフィズ・イブラーヒーム(1872頃~1932年)は「日本の乙女」という詩を書いたが、この詩はエジプトだけでなく、レバノンなどアラブ諸国の教科書にも掲載され、現在でも多くのアラブ人に愛誦されている。

「日本の乙女」
ハーフェズ・イブラーヒーム(阿部政雄訳)

砲火飛び散る戦いの最中にて
傷つきし兵士たちを看護せんと
うら若き日本の乙女、立ち働けり、
牝鹿(めじか)にも似て美しき汝(な)れ、危うきかな!
いくさの庭に死の影満てるを、
われは、日本の乙女、銃もて戦う能わずも、
身を挺(てい)して傷病兵に尽すはわがつとめ、
ミカドは祖国の勝利のため死をさえ教えたまわりき。
ミカドによりて祖国は大国となり、
西の国ぐにも目をみはりたり。
わが民こぞりて力を合わせ、
世界の雄国たらんと力尽すなり。(後略 以上大意)

日本の乙女 宮田律編『よくわかる「今のイスラム」』(集英社、2002年)より



 軍事的な勝利を収めたものの、日本が1923年に関東大震災の大惨禍に遭い、10万人余りの死者・行方不明者を出すと、この関東大震災の惨状を知ったエジプトの詩人アフマド・シャウキー(1886~1932年)は、1926年に「日本の地震」という詩を発表した。

「栄光の頂点にある東洋の帝国は、
その輝かしい威厳ゆえに人々の眼を眩(くら)ませる。
だが陸にあって鎧となる軍隊も、海上を守る艦隊も、
この帝国を〔震災から〕守ることはできなかった。
揺れ騒いだ日の晩にこの国を眺めたら、
人はそれを運命の手中にある小鳩かと思ったことだろう。」

 ロシアに軍事的に勝利したものの、大震災にはかなわなかったことをこの詩は強調したが、エジプトでは第二次世界大戦後も原爆などの惨禍を経ながらも経済発展で戦後復興を遂げた日本に対する敬意が生まれていった。1964年にナセル大統領は、「日本に学べ」と演説し、エジプトが日本の経済発展を模範とすべきことを説いた。また、イスラエルと親密な関係にあった米国とは異なり、日本製品はボイコットにほとんど遭うこともなく、エジプト社会に浸透していった。戦後の日本を貫いた「平和」や「民主主義」は、数次にわたる中東戦争や独裁政治を経てきたエジプトの人々にとっては憧憬の的であった。

宮城や福島で炊き出し100回、なぜならそれがジハードだから。被災地でカレーをふるまい続けたムスリムたちの話 田中志穂 ニッポン複雑紀行編集部/難民支援協会 https://www.refugee.or.jp/fukuzatsu/shihotanaka01#gsc.tab=0


 エジプトの近現代史における対日観は、シャウキーの詩のように、国の安全が軍事だけでは保たれるわけではないことや、またナセルの発言のように産業立国としての日本への称賛があったことを教えている。日本はカイロにオペラハウスをつくったり、日本のアニメやドラマのコンテンツなどが親しまれたりしたように、文化の力も日本に対する良好な感情をつくりあげていった。
 国の安全を軍事という発想にかたよってアメリカに軍事的協力を行い、自衛隊をイラクに派遣し、またパレスチナ人の人権を侵害するイスラエルと防衛協力を行うなど、近年の日本政治の動きは、日本がエジプトなどイスラム諸国でせっかく築いてきた「資産」を損なうことになってはいないかと危惧してしまう。

アフシン・バリネジャドさんはイランやアフガニスタンでの主要な出来事、紛争、災害を伝えジャーナリストとして活躍してきました。3.11東日本大震災、津波、福島原発事故の影響を取材するうち、そこに深い人生の目的と深い愛の意味を見出しました https://twitter.com/tedxkyoto_ja/status/816125913163296768


阿部政雄氏の文章 ほぼ同感に思う こういうことを知らない政治家が対米一辺倒になることを危惧する https://blog.goo.ne.jp/cbi70410/e/04d66996defdfdf7e05c58615f7813b6

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