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アラブの人々が思慕を抱くのは政府ではなく、日本国民

 米軍のイージス艦が沖縄の石垣港に入港した。沖縄県は平時における軍艦の入港を自粛するように求めているが、この要請を無視した形で行われた。例えば、羽田空港とか、成田空港に米軍の戦闘機、爆撃機がいきなり飛来したらどうだろう。多くの人が心穏やかならざるものを感じるに違いない。
 堀田善衛の『インドで考えたこと』(岩波新書)には、沖縄の戦後処理についてインドが対日講和条約で沖縄を含めた日本の全主権が恢復されるべきだと主張し、沖縄がアメリカの施政下に置かれることに激しく反発したことに関して次のように書かれている。

https://honto.jp/netstore/pd-book_00085869.html  より


「私はインドで、ときどきオキナワはどうなっているか、と聞かれた。ウカツ者で健忘症なことにかけては人に劣らぬ私は、忘れてしまっていたのだ、アメリカの対日平和条約案と沖縄とインド政府との関係を。
 アメリカの条約案では、沖縄は日本から引き離され、国連の信託統治領に移されることになっていた。これに対して、日本の沖縄関係諸団体から、ワシントンの極東委員会に代表をもつ十数ヵ国に陳情書がおくられ、アメリカ案から沖縄条項の削除を申し入れた。これに応じてくれたのがインド政府であったのである。サンフランシスコ会議直前の一九五一年八月二十五日、インド政府は、日本本土と共通の歴史的背景をもつ島々で、侵略によって日本が奪取したものではない地域には日本の全主権が恢復されるべきである、と主張し、信託統治案の撤回を迫った。全主権の恢復をアメリカは拒否した。インドは会議出席を拒否した。」

アラブの嵐 1961年 https://bunshun.jp/articles/-/67500#goog_rewarded


 堀田善衛ですら忘れていたのだからこの時のインドの姿勢など知っている日本人はほとんどいないだろう。インドと同様にエジプト政府も沖縄をアメリカの信託統治制度に置くことについて、「民族自決の原則」と「住民の希望」を重視すべきことを主張し、「エジプト政府は、この問題が国連に提起される際に、第三条(アメリカの信託統治に触れた部分)に関しては、その権利を留保する旨を記録しておくことを望むものであります」と沖縄の人々の心情に寄り添った表明を行った。エジプトやインドの姿勢は、これらの国が長年にわたってイギリスの植民地支配の下に置かれていたという歴史と無縁ではなく、アメリカの沖縄統治がイギリスの植民地支配と重なったことは間違いない。

アラブの歌ですね 「悲しき六十才」 https://ryoumablog.work/blog/ya-mustafa-dario-moreno-kyu-sakamoto/


 イージス艦が沖縄海域で活動しているのは中国の「脅威」に備えるためだろうが、アメリカが中国ににわかに厳しくなったのはトランプ前政権からだった。

 新渡戸稲造を師と仰いでいたジャーナリストの松本重治(1899~1989年)は、国際文化会館の設立にも尽力し、アメリカ学会の創設にも中心的役割を果たすなどアメリカとの友好を重んじたが、アメリカの中国封じ込めやベトナム戦争はアメリカのためにならないと、渡米してこれらに反対する講演を各地でして回った。日米友好のためにベトナム戦争に反対するのだ、アメリカは愛情をもってもの言えば、必ず言うことを聞いてくれるというのが彼の信条だった。

気骨ある人でした。日本の古本屋より。


 いまの日本政府に欠いているのはこの姿勢で、パレスチナ問題までもアメリカの顔色をうかがい、UNRWA(国連パレスチナ難民救済事業機関)への資金の拠出を停止してしまった。イスラエルの戦争や封じ込めによってガザでは餓死者も出る中で、UNRWAへの支援を停止してしまったら、人道状況はますます悪化するばかりだ。

上野の<国立西洋美術館>の設計が決まり来日した建築家ル・コルビュジエも1955年11月、<国際文化会館>を訪れた。左から前川國男、3番が坂倉準三、4番目にル・コルビュジエ、一番右が松本重治。 COURTESY: INTERNATIONAL HOUSE OF JAPAN <国際文化会館>は1952年に、国際的な相互理解を目的とした「文化交流」と「知的協力」の場となるべく設立された公益財団法人である。1955年に完成した施設自体は、カフェ、レストラン、図書館、会議室、宿泊施設などを備えた国際交流のためのサロンや会員制クラブのようなものだが、同時に日本と海外の知識人、文化人が自由に交流するための文化交流、知的協力プログラムを行う組織でもある。 https://sustainable.japantimes.com/jp/magazine/255


 アラブなど中東イスラム世界の人々が日本について不可解なのは唯々諾々とアメリカに従う日本政府の姿勢だろう。アラブの人々が思慕に思っているのは日本政府ではなく、日本国民であり、親日家のアーメル・シャンムート駐日ヨルダン大使は、かつて次のように語った。

「私は日本人をとても誇りに思っているのです。というのは、日本は小国で、資源といえば火山と地震しかありません。ほとんどゼロに等しい資源の中から、こんなに素晴らしい国をつくっているではありませんか。日本人は恐ろしい戦争体験をしていますし、日本の二つの大都市は灰塵に帰してしまいました。そして廃墟の中から、日本は以前よりももっと強大になったのです。日本の宝は地下にあるのではなく、地上にあるのです。つまり正直さ、勤勉さという資源を備えた日本人一人ひとりが宝なのです」(『アジア』1974年9月号)

 他国から一目を置かれる日本人の代表の政府ならもっと毅然とした態度で国際的指導力を発揮してもらいたいものだ。松本重治のようにアメリカを説得するほどの気骨あるリーダーが現れないものかとつくづく思う。


TBS『娘たちはいま』左から八千草薫、野添ひとみ、吉永小百合、尾崎奈々 ©文藝春秋 https://bungeishunju.com/n/naf577a58f251



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