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ヨーロッパ・ナショナリズムに抵抗し、中世イスラム・スペイン時代の多様性に傾倒したロルカ

 イスラエルでは2018年7月にイスラエル国家はユダヤ人のみによって構成され、公用語はユダヤ人の言語であるヘブライ語というユダヤ人国家法が成立した。ヨーロッパで生まれた民族国家の概念を法的に定めたものだが、さらに2022年3月、イスラエルは、ヨルダン川西岸やガザのパレスチナ出身者がイスラエル市民(特にアラブ人)と婚姻を通じて、イスラエルの居住権、市民権を取得する(イスラエルに帰化する)ことを禁止する婚姻法を成立させた。これはきわめて人種主義的性格が強い法律だとして、特にイスラエル国内のアラブ系市民やアラブ世界から反発されている。、ドイツのナチス政権が1935年のニュールンベルク法で、ドイツ国民とユダヤ人との結婚を禁じたことを彷彿させるものだ。

フラメンコ・ダンサーたち

 ヨーロッパで1789年のフランス革命を契機に生まれたナショナリズムの考えは、一つの国家は一つの民族(国民)によって構成されるという民族(国民)国家の考えをもたらし、ユダヤ人は国家の国民になれないとして排除するようになった。その結果、ユダヤ人にも自らの国家を持とうとする考え(=シオニズム)が生まれるのだが、19世紀以降発展したスペインのナショナリズムも、ムスリムやユダヤ人、さらにはジプシーの文化的影響や歴史的過去を排除するというもので、非白人・非キリスト教の価値観を徹底的に嫌うという点では現在のフランス極右の主張や姿勢に似ている。同様に、イスラエルの極右は非ユダヤ人(=アラブ人)の価値観や歴史的過去を徹底的に排除する。

グラナダにあるロルカの生家を訪れ、詩を朗読する常盤貴子 https://thetv.jp/news/detail/37601/189620/

 スペインのアンダルシア・グラナダで生まれた詩人フェデリコ・ガルシーア・ロルカ(1898~1936年)がペルシアなどイスラム世界の詩作に傾倒したのも、スペインのナショナリズムに反発したことも一つの理由としてあった。1931年にロルカはインタビューの中で、グラナダで生れたことが迫害された人々に対する同情や理解を自分にもたらしたと語っている。ジプシー、黒人、ユダヤ、ムーア、これらの抑圧された人々は自分自身の中にいるとロルカは述べた。グラナダはスペイン最後のイスラム王朝ナスル朝の首都であったところで、多様な宗教的、人種的背景をもった人々が暮らしていた。

アルハンブラ宮殿 https://www.getyourguide.jp/granada-l207/granada-full-alhambra-complex-guided-tour-t165053/?ranking_uuid=2dc719d5-ff6a-4622-b53b-ceac1e81e662

 ロルカがフラメンコを愛好したのは、フラメンコが、スペインの「抑圧された人々」の文化や歴史の融合の上に成立したという背景があるからに違いない。スペインでは1930年代にアンダルス(イスラム・スペイン)時代の文化を見直そうという復興運動が起こったが、スペイン・ナショナリズムに強烈に訴えるフランコ独裁体制(1936~75年)の下ではそうした動きは絶えることになった。

フラメンコ・ダンサー https://www.europosters.fr/danseuse-de-flamenco-f80865130

 フラメンコ音楽のルーツには様々な説があるが、時代的にはスペインが「アル・アンダルス」と呼ばれたイスラムの中世時代に生まれ、ムスリム、クリスチャン、ユダヤ人、ジプシーが文化的にも相互に影響し合った時期だった。カナダのイスラム学者トーマス・アーヴィング(1914~2002年)は、その著書『イスラム世界(The World of Islam)』の中でジプシーの音楽とカンテ・ホンド(「深い歌」の意味。ジプシーの奥深く神秘的な情緒や感動を伝える歌)は、アラブの抒情詩にルーツがあると書いている。

天本英世 https://www2.nhk.or.jp/archives/articles/?id=D0009250244_00000

 ロルカは、ファシズムに傾倒する右翼活動家に殺害される直前に詩集を残したが、特にペルシア(イラン)の詩人オマル・ハイヤームやハーフェズへの強い傾倒が見られた。ロルカの最初の出版物は19歳の時の「オマル・ハイヤーム批評」で、グラナダ大学の芸術学部の紀要に掲載されたが、その時は「アブドゥッラー」というペンネームを使っている。「アブドゥッラー」はスペインのイスラム最後の王朝で、グラナダを首都としたナスル朝の最後の君主アブー・アブドゥッラー・ムハンマド11世(スペイン語でボアブディル)の名前からとったものだ。それほどロルカにはアンダルシアのイスラム文化への憧憬があった。

イラン・シーラーズのハーフェズ廟で ハーフェズの詩を読みながら涙する女性など

 ロルカが傾倒したペルシアの詩人ハーフェズ(1326?~90年?)の詩のテーマは「愛」で、抒情詩を数多く残した。ゲーテもハーフェズの詩に強い感銘を受けたが、下のような多様性を強調し、重んじる詩を残している。

愛は栄光の降るところ
汝の顔より—修道場の壁に
居酒屋の床に、同じ
消えることのない焔として。

ターバンを巻いた修行者が
アッラーの御名を昼夜唱え
教会の鐘が祈りの時を告げる
そこに、キリストの十字架がある。

 -ハーフェズ(ペルシア最高の叙情詩人と言われる。1390年没) (R・A・ニコルソン『イスラムの神秘主義:スーフィズム入門』)

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