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神社清掃のすゝめ

あの日味わった虚無感を私は忘れません。

3年前,令和に変わって初めての年,私の大好きな一年に一度のお祭を迎える頃でした。

今はいない,まだ元気だった祖母からの電話。

「今年は神輿は上がらないよ」

祭は,祖父から引き継いだ大切な伝統,そして町の大切なハレの日です。

私の目の黒いうちは,絶対に神輿を下ろしたりなんかしないと仏壇の遺影の前でした祖父との約束は,守ることが出来なくなってしまいました。

「台風が向かっている。祭は年寄ばかりなんだから,滑ってケガでもしたらどうするんだ」

それが,神社総代会,神輿保存会の決断だったようです。

祭の朝

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澄み渡った秋空,突き抜けるような青。爽やかに空気は動き,樹々は嬉しそうに揺れていました。

お神輿は,無言で佇んでいました。

私たちも集った人たちも無言でした。

ただ密やかに神主さんによる神事が行われ,令和初めて祭は終わりました。

一年に一度の例大祭,慶びに満ちた太陽は,僕ら人間に何を伝えようとしていたのでしょう。

その日神輿は上がることはありませんでした。

その後,コロナウイルスの影響によってお神輿の一切が中止になる世の中が来るなんて誰も知りません。

祭をずっと祖父とともに支えてきた祖母は,昨年亡くなってしまいました。

今思えば,この日がお神輿が上がっている姿を見せることが出来る最後のチャンスでした。

もう,続けられないかもしれないと思った

MIKOSHIGUY_一人

私は悲しさと悔しさに溢れていました。

一年に一度,その日のために全てを捧げてきたつもりだったのに。

祖父が残してくれた約束の神輿。

全国を駆け巡り,仲間を作り,ヨーロッパでも神輿を担いで来ました。

出来ることは全てやってきたつもりでしたが,神輿が上がらなかった事実は,紛れもないことです。

全てを否定された気持ちでした。

「人生を祭にかけるなんて意味がない」

そう突きつけられた気もして,苦しくてたまりませんでした。

僕はその時まで,お神輿を続けていくことで素晴らしいご縁をたくさん頂き,祖父が残してくれた大切な財産だと思っていました。

しかしこんなにも辛い思いをしてまで続けることを望んでいるのかともう一度,半纏を着てニッコリと笑っている祖父の遺影を見上げてみたりもしました。

祖父は何も語ってくれません。

私が覚えている祭の日の嬉しそうな祖父の姿がそこにあるだけでした。

もう一度だけやってみよう

ひとりじっと考えていました。

私にとって祭りとは何か、故郷とは何か。

生まれた時からずっと大好きだった日,祖父が人生かけて守り続けていた日。

私も守っていこうと決めたことです。

もう一度,本気でやってみよう。

一年間本気でやってみて,まだ里の人たちの心に響かなければまたその時考えてみればいい。

私は動き出そうと思い立ちました。

今すぐに出来ることを

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来年の祭のために今すぐに出来ることは何か。

それは祭の行われる地元春日神社の清掃でした。

思うのが早いか,私はすぐに友達に連絡し,清掃活動を始めたのです。

神社の入り口,鳥居のすぐ脇に山と積まれていた枯れ枝,落ち葉。

台風の影響で境内にはたくさんありました。

まず,これをキレイにしていきます。

"美しい祭をするためには,美しい神社から"

私ははじめ,たった二人でした。

積み上げられている枝葉は,それだけで数トンはあったと思います。

神輿が上がらなかった悔しさを力に変えて,まとめては運び,まとめては運びを繰り返しました。

一心不乱でした。

気付かなかった緑の息吹

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一生懸命に運んでいると,山積みになっていた下からたくさんの緑が生えて来ているのに気が付きました。

日光が当たらず緑が薄く弱々しいものの,それは水仙の葉でした。

もしかしたら咲いてくれるかもしれない・・・・。

私は一株ずつ,熊手を当てずに優しく手作業で落ち葉を取り除いていきました。

鳥居を潜るたびに目を伏せていた場所には,たくさんのいのちが春を迎えようとしていたのです。

神様が慶んでいるようで

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神社はやがて新年を迎え,令和2年となりました。

喪中の私はお祝いが出来ませんでしたが,2月になると,鳥居の横の水仙は満開となりました。

神社が慶んでいるようでした。

神社を訪れるたくさんの人がいつもありがとうと声をかけてくれるようになりました。

私は大切な何かに気付くことが出来たように思います。

私は今まで,ハレの日ばかりに心根を注いできましたが,祭の無いケの日はハレの日と表裏一体です。

一年に一度お神輿を上げるために,どうやって人に来てもらうか,どうやって告知するか,どんな魅力ある仕掛けを用意するか・・・。

充足して輝くようなハレの日を迎えるためには,その1日に注力するのではなく残りの364日が大切です。

良いハレの日を迎えるために良いケの日を過ごし,良いケの日を過ごすために良いハレの日を迎える。

そんな螺旋状の二項対立こそが祭や神社を中心とした,豊かな集落とコミュニティを築くための先人の知恵だったのです。

何故,365日から分離した1日を作ったのか。

私はその秘密に気付くことが出来た気がします。

仲間たちみんなで大切にしていく日

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あれから欠かさず続けている,月に一度の神社清掃。

今ではたくさんの仲間たちがいます。

町内の方々もいつも声をかけてくれます。

もう,神輿が上がらないかもしれない不安なんてありません。

神社はいつ行っても生き生きとしています。

植物は青く茂っています。

生き物たちもたくさん顔を出してくれます。

子供たちは楽しそうに走り回っています。

私はこれからも,この土地のご先祖様が大切に守って来てくれたこの場所を今を生きる大切な仲間たちと共に守り続けたいと思います。


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