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【小説】傘も差さずにハローグッバイ

―チリンチリン。

 入口のドアが開く。

「いらっしゃいませ。」

 私はコーヒーを淹れる手を止め、来訪者へ笑顔で声をかける。

「お好きな席へどうぞ。」

 入ってきた男は一目散に窓際の席へと足を運び、腰をおろした。

 時刻は午後3時。雨天のくせに忙しかったランチタイムを終え、店は閑散として、広い席はたくさん空いているのに、わざわざこの店で一番狭い、窓向き横並びの二人席を選んだ。待ち合わせ、じゃないよなあ。

「どうぞ。」

 私は営業スマイルで水とおしぼりを差しだす。

「ご注文、決まりましたらお声がけください。」

 男はこちらを向くことなく、首を縦に振る。

 一見さんだよな。感じが悪い。

 ドリップの終わったコーヒーを、注文した常連客のもとへ運ぶ。

 カップを置いた私の顔に、夏の日差しが強く差し込んできた。

 窓の外を眺めると、先ほどまで降っていた雨は止み、雲の切れ間から少し青空が覗いていた。夕方にはまだ早いが、雲が覆っているため、少し薄暗い。

「あ、虹。」

 思わずつぶやいてしまった。虹は溶けるように消えてしまった。無邪気に声を出したことを常連客に笑われ、私は照れながらキッチンカウンターへ戻る。

 ふと先ほど入ってきた男を見ると、こちらを見つめていた。

 決まったのかと思い、伝票を片手に注文を取りにいく。

「季節ブレンド、あったかいので。」

 私が声をかける前に、彼が注文を口にする。

 季節ブレンドは、私が自らブレンドしたコーヒーだ。季節に合わせて、1~2か月に一度内容を変えて提供している。

 はじめて、だと思うのだが、この人、コーヒーには詳しいのだろうか。

「今は、インドネシアとブラジルとタンザニアのブレンドで、しっかりした味わいですが、」

「大丈夫です。」

 言葉の途中で遮られる。やはり、感じ悪い。

 ダメダメ、お客様だぞ。私は得意の営業スマイルで注文を確認したあと、華麗にキッチンへ帰還。すぐさまコーヒーのドリップを始める。

 その様子をじっと眺めている彼。時折私と目が合うと、そそくさと逸らすので、コーヒーに集中することにした。

 コミュ障なコーヒー好き?見られると緊張するんだけど。特別な淹れ方をするわけでもないのだから、そんなに見つめないでほしい。

 でも、なんだか、はじめてのような気はしないな。もしかして、私が継ぐ前の常連さんだろうか。

 父がセミリタイアして、それを引き継いだのが1年前。

 父が開いたこの店で小さな頃から手伝いをしていた私は、小学生のくせにコーヒーをブラックで飲むおませさんで、マキコという本名をモジってマセコなんて呼び名をつけられた。今でも、昔からの常連にはそう呼ばれている。

 高校生になると片っ端からコーヒーに関する資格を取り、卒業後すぐにコーヒー留学としてイタリアへ渡り、バリスタ修行をした。帰国してからしばらくは都会のカフェで雇われ店長をしていたのだが、父が店を閉めると言い出したのを気に地元へ戻り、店を継いだ。

 テーブル、カウンター、ぜんぶ合わせても20席ほどのこじんまりとした喫茶店。

 店のすぐ裏の堤防を越えると大きな川があり、川に沿って、街と街をつなぐ街道が走っている。車がないと来づらいし、見た目は昔なじみの喫茶店なので、客は父の頃からの常連やご近所さん、もしくは私のカフェ時代の馴染みの客ばかりだ。

 なので、ランチタイムだけお手伝いのパートさんが来てくれて、あとは一人でのんびり営業している。バリバリ働くよりも性に合ってるかも、なんて最近は思っている。

 そんな場所に、車で来た様子はない男。歩いてきたのだろうか。

 でも、さっきまで雨が降っていたけど、傘立ての傘は2本。私の透明なビニール傘とお父さんの黒い大きなジャンプ傘。席にも見当たらない。かといって、雨に濡れた様子もないし。

 怪しい。怪しいけど、なんだか、大丈夫そうな気もする。

 そんな間の抜けた推理をしていたら、コーヒーが出来上がっていた。

「お待たせしました。」と、勝手に怪しんだ負い目を感じさせないよう、満面の笑顔でカップを出しだす。

「どうも。」

「晴れてよかったですね。」

「え?」

 しまった。つい口走った。余計なことを考えていたから。

「歩いて、いらっしゃったんですよね?」誤魔化すように言葉を続ける。

「はい。」

「お近くですか?」

 なにがよ。

「まあ。」

 通じた!

「こちらへは何度も?」

「ええ、そうですね、はい、何度も。」

「そうですか。父が引退しまして、今は私が引き継いでるんですよ。」

「お父さんは?」

「あ、元気ですよ、悠々自適に生活してます。」

「そうですか。」

「父、呼びましょうか。」

「いえ、大丈夫です。」

「そう、ですか。」

 私が去ろうとすると、彼が声をかける。

「人を。」

「え?」

「ちょっと、人を探してまして。」

「なるほど…ごゆっくりどうぞ。」

 得意の笑顔もきっと、固く引き攣っていたに違いない。

 彼との出会いはそんな雨あがりの変な午後だった。

 彼はそれから次の日も、その次の日も店に来た。

 初日の感じ悪さが嘘のように、すぐに常連と仲良くなって、明るくおしゃべりをしている。

 彼は聞くのも話すのもうまく、常連の悩み相談を受けていた。出会って三日目の人にそんな心開いて、詐欺師だったらどうするの、と思ったら、知り合いだったらしい。彼は幼い頃、この辺りに住んでいたらしく、私とも会ったことあるらしい。

 覚えていなかったことを謝ると、物心つくかつかないかの頃だったから仕方ない、と笑って許してくれた。それはそうだ。

 みんなからグリさん、と呼ばれるようになった彼は、今は街道沿いの街に住んでいるらしい。

「グリさんの探し人って、見つかったんですか?」

 夕方、常連が帰り、店内の客は彼ひとりになった。夕陽が彼の顔に降りそそぐ。初日からずっと同じ席に座り、ぼんやり外を眺める彼に、おかわりのコーヒーを差しだし、隣りに腰かける。

「いや。」

 しまった、性懲りもなくまた口走ってしまった。人のプライベートにズケズケと。まったく、イタリア留学のせいかしら。

「どんな人なんですか?」続けて飛び出した言葉は、誤魔化すどころか追い打ちをかけていた。

「ええっと、そうですねえ。好きな人、です。」

「えー!?片想いの相手?でも、それだと居場所がわからないのは可笑しいか。あ、初恋の人とか?」

 彼は苦い顔をししている。

「あ、ごめんなさい。」

「いや、確かに、初恋でした。こどもの頃に恋をして、でも、離れ離れになってしまって。でも、偶然、再会して、付き合うことになって。でも、ある日、いなくなってしまったんです。」

「行方不明?現代の日本でそんなことあるんですね。」

「ね。」

 相手は、いまどこでなにをしているのか。生きているのかもわからない。そんな相手を探してるなんて。私には真似できないな。

 生きていたとしたら、彼のことをどう思っているのだろうか。

「もし、出会えたら、どうするんですか?」

「そう、ですね。会うことばかりで頭がいっぱいで、どうするかなんて考えてなかったかも。」

「私といっしょで猪突猛進タイプですね。イノシシ年生まれですか?」

「あ。はは。よくわかりましたね。」

 驚いたあと、笑い声をあげて、肯定する彼。

「ほんとに!?」

「嘘です。」

 と、悪い顔する彼。やっぱり、この人、詐欺師かもしれない。

 それから数日、珍しく忙しい日々を過ごしたため、彼としゃべる機会はあまりなかった。彼は相変わらず、常連客の相談窓口を開設している。

 そして、彼が訪れて一週間経った雨の日。

 グリさんは突然、別れを告げてきた。

 尋ね人を探しにでかけるのだそうだ。なにも今生の別れのような挨拶をしなくても、なんて常連に呆れられながら、彼は傘も差さずに店を出ていった。

 雨があがり、虹がかかり、僕はたどり着いた。

 川のほとりの小さな喫茶店。

 僕は意を決してドアを開ける。

―チリンチリン。

「いらっしゃいませ。」

 声にするほうへ目を向けることなく、座り慣れた窓際の席へ歩みを進める。

 これで何度目だろうか。もう数えてない。

 満面の営業スマイルをする彼女に、素っ気なく返事をしてしまう僕。

「あ、虹」

 その言葉に目を奪われる。彼女は常連客の元を離れると、こちらへやってきて、
注文を尋ねる。

「季節ブレンド。あったかいので。」

 いつもどおりの注文を告げる。

 そのあと、コーヒーを持ってきた彼女が言葉にする。

「雨、また降ってきましたね。」

 窓ガラスは、雨粒が滴れ落ちている。

「傘、大丈夫ですか?雨、止みそうにないですけど。」

「ええ、大丈夫です。」

「そうですか。もし必要でしたら、あそこの使ってくださいね。」

 と、入口の傘立てを指す。

 そこにはビニール傘と黒いジャンプ傘が1つずつ。

「黒いほう、父のなので。」

 僕はコーヒーを啜りながら、考えを廻らせる。

 幼い頃、親に連れて来られたこの店でお手伝いをしていた同じ年頃の少女とこの席で、いっしょにいちごミルクを飲んで。そんな彼女に、子どもながら恋をした。

 隣り街に引っ越して、店に行くことはなくなって、そのまま大人になって。都会で仕事を始めた僕は、オフィスの近くのカフェで彼女に再会した。彼女は僕のことを覚えていなかったけど、僕が昔話を語って聞かせた。

 いつも忙しく、仕事に夢中な彼女をなんとか口説き落とした矢先、地元に戻って親の喫茶店を継ぐのだと言い、またもや距離が離れてしまった。だが、今度は連絡も取れるし、会いにも行ける。休みの度に喫茶店を訪れ、あの席で過ごす。

 そんな日々を過ごしていたある日。僕の大切な人は、大雨のなか、傘を父親のもとへ届ける途中で事故に遭い、車ごと川へ転落した。

「違ったか。」

「え、味、おかしかったですか?」

 彼女が心配そうに顔を覗かせる。

「いや、おいしいです。」

「そう、よかったです。」

 彼女は機嫌のよい足どりでキッチンカウンターへ戻っていく。

 僕は悲報を聞き、家を飛び出したが、川は濁流が支配していて、雨が止むのを待つしかなかった。雨が止んで捜索が始まるが、彼女は見つからなかった。3日後、下流で車は見つかったが、彼女はそこにいなかった。

 僕は、幼い頃に聞いた「虹を渡れば願いが叶う」という噂に縋り、雨が降る度に虹の袂を目指し足を運んだ。だが、虹はたどり着く前に消えてしまう。それでも、何度も何度もそれをくり返して、ついにたどり着いた。

 彼女がいなくなったその日に戻り、彼女を行かせないようにする。

 そんな願いを抱えて、虹へ足を踏み入れた。

 そして、たどり着いたのは、あの日の喫茶店。

 でも、そこにいた彼女は僕のことを覚えていなかった。

 それから雨が降るたびに、何度も同じことをくり返してわかったことがある。

 たどり着く先は、あの日のこの場所かもしれない。しかし、それは、数多ある可能性のなかのひとつの世界、パラレルワールドなのだ。

 そこは、僕と出会わなかった世界。僕と出会っても付き合ってない世界。僕と付き合っていても間に合わない世界。晴れていて事故の起こらない世界だってあった。いろんな世界の彼女と出会い、僕のことを知らなくても、優しく語りかけてくれる彼女に心許し、諦めそうにもなった。

 それでも、雨が降るたびに思いだす。

 そして、雨が止み、虹がかかればそれを渡る。

 この世界の彼女は僕のことは知らないだろう。それでも、悲劇だけは起こさせない。それを済ませればまた、虹を渡るのだ。

 何度でも。

 何度でも。

―チリンチリン。

 入口のドアが開く。

「いらっしゃいませ。」

 私はコーヒーを淹れる手を止め、来訪者へ笑顔で声をかける。

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