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詩 「明瀬さん」


蛍光グリーンのタンクトップを着ている明瀬さん。楽しい色の装いをしていると気持ちも弾むのだと教えてくれた。本当にそうだと思う。でもわたしは服の色に気持ちが負けてしまうので、いつも白色かグレーかベージュしか着られない。色に負けない心はその人にしっかりと宿っていて、明瀬さんに会うとわたしも心が弾むようだった。
明るい服にはあまり似合わないような、ほとんどの店がシャッターを下ろした、昼なのに薄暗い商店街を歩いて、まだ旅の中日なので干し魚なんかは買えない。小さい頃みたアニメのキャラクターの饅頭が売っていて、二人でひとしきり懐かしがった。

商店街を抜けると海に出て、海開きはまだだけれど、地元の親子が裸足で海に入っているのが見えた。隣にいる明瀬さんを見て、目の透ける茶色に吸い込まれそうだ。心が騒がしい時は水を見る、と教えてくれた明瀬さんと海を見ている。日の光が強くてまだ梅雨前なのに真夏のように暑くて、砂浜に照り返された日差しが眩しい。ひとつだけなにか持って帰るものが欲しくなって、すぐに物が増えても困ると思い直す。それでもなにかが欲しくなる。砂浜を靴のまま歩くと浜がひっつくように重い。お昼になにか食べようと話して、砂浜から通りに出て海から離れる。

ご飯を食べるような店は平日だからかどこも開いていないので、空腹のままあたりを彷徨うことになった。ラーメン屋も喫茶店も閉まっていて、数種類のお惣菜とおにぎりを置いている店だけが開いていたのでそれぞれおにぎりを二つ買って、ホテルに戻って食べる。窓際に置いてある椅子に向かい合って座り、明瀬さんと話しながらおにぎりを頬張る。
青い霧が出た日に宙を舞うことは可能か、海の上を歩くことは難しいか、積乱雲の中で息はしにくいのか、熱い砂の上に蝶は降り立つか。話すこと自体を楽しむために答えのない問いをいくつも出し合う。すべてに良しと言うと嘘になってしまうけれど、この時間を普段と同じには出来ない。おにぎりの包まれていたラップをくしゃくしゃに丸めてゴミ箱に放る。

「遠出するのもこれが最後」
「貝殻を拾えばよかった。明瀬さんに似合うような」
「砂ばかりで貝は見つけられなかったね」
「また海に行く?」
「ううん」

明瀬さんがこれからどんな生活をするのかは、聞くことができなかった。わたし達はその場その場で中身のない会話を繰り返して、できるだけこれからのことを話さない。それでもいつも明瀬さんといた。未来をできるだけ見ないようにして歩いた。明瀬さんは自分を励ますために彩度の高い色を着て、わたしはいつもその行いに微かな勇気をもらうのだった。
次の日、私たちは海には行かないで、夕飯の足しになるような漬け物や魚を買って早めに帰った。帰りの電車の中で、お互いほとんど話さなかった。ただ明瀬さんが、部屋に水槽があったらいいのに、となにか名残惜しそうに呟いた。



「明瀬さん」
ユリイカ2023年9月号「今月の作品」佳作


#詩 #ユリイカ #宮田実来


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