イノベーションはどう起こすのか?―藤原定家【百人百問#014】
現代における一番のバズワードは「イノベーション」だろう。マット・リドレー(#004)も『イノベーションと人類』を著している。もはや言われすぎて手垢まみれになっている。それほどまでに古い伝統を打ち破り、どうやって新しいものを生み出すのかが、平成から令和への最大の関心事になっている。
ビジネスでも教育現場でもスポーツでも、イノベーションを起こして、既存の枠組みを乗り越えることが叫ばれているのだ。
でも、それは現代に限ったことではない、いつの時代でも伝統や慣習に飽き飽きして、イノベーターや変わり者、アウトサイダーたちが新しい常識をつくり出す。
それは中世日本も例外ではない。それが藤原定家という歌人である。今日はそんなイノベーションの秘密を探ってみたい。
時は13世紀、鎌倉時代のこと。和歌の歴史でいうと、『新古今和歌集』が定家によって編纂された時期だ。その頃流行した和歌の手法に「本歌取り」というものがある。これが当時のイノベーションだった。
本歌取りとは、過去の歌の一部を自身の歌に活用する手法である。
つまり本歌取りは、万葉集(7,8世紀)のような古典をリメイクして現代風に変える手法だ。今でいうと、リメイク、リブート、カバー、リスペクト、マッシュアップのような手法だといえる。
ただし、それが明らかに古歌に由来するとわからないければならない。かってにパクるのではなく、もとの歌を前提としたものでなければならない。そこに手腕が問われる。
本歌取りの定義は専門家にも難しいものらしいが、和歌文学の専門家・渡部泰明によると「ある特定の古歌の表現をふまえたことを読者に明示し、なおかつ新しさが感じ取られるように歌を詠むこと」が重要だと指摘している。これでも厳密ではないそうだが、大切なのは、古歌と新しさが同時に共存できるかどうかが重要らしい。
そこで藤原定家の手腕を見ていきたい。古今和歌集の歌である。
雪の夕暮れの中で馬を止め、寒さを感じている情景が描かれている。
この本歌が万葉集にある。
同じ佐渡の渡りで、土砂降りに遭い、うんざりしている。
このアップデート具合がわかるだろうか?
本歌では「雨」を扱い、旅の「苦労」を詠んでいる。しかし、定家はそれを「雪」に変え、さらに「夕暮れ」を添えている。これが定家流のアップデートなのだ。どういうことか?
一度和歌の歴史を振り返りたい。
和歌の歴史を紐解くと、万葉集時代から新古今集に至るあいだで、なにを「良い」とするかのアップデートが起きている。簡単に言うと「心をどうやって詠むのか?」の方法の進化が起きている。
「心」とは和歌で表現したい本題ともいうものだ。和歌には「詞」と「心」がある。「詞」とは言葉のことで、「心」を詠むのが和歌だと言われてる。起きている事象をそのまま詠むのではなく、そこにある「心」を詠むことが「良い歌」なのだ。
その「心」をどう詠むのか。
万葉集の相聞歌(恋の歌)には主に2つの方法がある。一つは「正述心緒(せいじゅつしんしょ)」といい、心に思うことを直接表現するものだ。もう一つは「寄物陳思(きぶつちんし)」といい、物や景色に託して思いを表現するものである。
この「寄物陳思」が和歌の歴史では重要となる。そのまま愛や恋を伝えるのではなく、物や景色に託すことでその本心を詠むのだ。夏目漱石が「I love you」を「月がきれいですね」と訳したという都市伝説があるが、まさに心を「月」に託すという「寄物陳思」の手法である。
このように、表現は直接的ではなく、よりハイコンテクストで、叙事的になっていく。物や景色に託せば託すほど和歌は進化していく。そういう目で先ほどの歌を見てみたい。
万葉集では「苦しくも」と旅の苦労をそのまま表現している。「雨も降るし、家も無いし、苦しすぎる」となる。「苦しい」という心がそのまま表現されている。
しかし、定家は「苦しさ」を直接描かない。最後に「雪の夕暮れ」だけを添えて体言止めで終わっている。訳文も「ここは佐野の渡し場、雪の中の夕暮れ」となる。
なんとなく投げ出された感じがするだろう。受け手には「雪の夕暮れ」が最後に景色として残る仕立てになっているからだ。そこに苦しさも表現されつつ、それ超えた美しい雪の景色も広がる。
「雪の夕暮れ」が眼前に立ち上り、わびしさも寂しさもあるが風流でもある。この言外にこめられた趣のことを「余情(よせい)」と呼ぶ。名残のようなものだ。
人は「雪の夕暮れ」からさまざまなことを感じる。苦しさだけではなく、わびしさも、優雅さも、懐かしさも感じるかもしれない。これが寄物陳思の力である。
こうやって定家は本歌取りの手法を確立していった。
現代から見るとどちらの歌が「いい歌」かというのはわかりづらい。それは歌謡曲とJ-POPを比べているようなものだ。歌は流行りものであるため「新しさ」を感じるかどうかがすべてになる。桑田佳祐と宇多田ヒカル、YMOと星野源、椎名林檎とAdo、どちらが良いか悪いかというわけではなく、重要なのはどちらに”新しさ”を感じるか、なのだ。
ではなぜ「本歌取り」という手法を用いるようになったのだろうか。そこにこそイノベーションのヒントがある。定家の時代から少し遡る。
万葉集の時代、平安時代中期頃までに和歌は確立した。しかしながら11世紀末、平安時代の終わりになると、和歌の様式性が足かせになり、新しい歌をつくったつもりでも、どうしても古い歌に似てしまう、という閉塞した状況になったのだ。
様式を生み出した時代を超えられないというのは、今の日本と同じだろう。いまでも、会社を生み出した人、雑誌を生み出した人、ゲームを生み出した人など、その様式を生み出したものは超え難い。イノベーションのジレンマが生まれる。だから「おれが若い頃は」という老害が溢れる。
その平安期の閉塞感を端的に示すのが、「古歌を盗む」という言葉にある。藤原清輔の歌学書『奥義抄』では古歌を盗むことについてこう書かれている。
なんとも身も蓋もない言葉だ。もう仕方なく「盗む」しかなかったのだ。そんな中、この「盗む」という方法に、あえて古歌を顕在化させる、という考え方が融合して、本歌取りとなっていく。「隠れて盗む」のではなく、「明示して活かす」ことを選んだのだ。
それは同時に古歌の魅力も再生させる。新作歌だけが目立つのではなく、古歌もリバイバルし、新作によって新しい奥行きがもたらされる。その相互依存関係が本歌取りの重要なところなのだ。まさに現代でいう”リスペクト”である。
このパクリ(盗み)と本歌取りの違いこそが、イノベーションのヒントになる。驚くべきことに、この「盗み」に対して、定家はかなり意図的に本歌取りを体系化していた。藤原定家は『詠歌大概(えいがのたいがい)』の中で、本歌をとるにあたって、単なる模倣を回避するための方法を明示している。
以下が定家による本歌取りのルールである。
このルールは端的だがすごいものだ。
まず(1)では、新しすぎるものは本歌取りしてはいけないという時間の距離を規定している。いまの著作権の考え方に似ている。さらに(2)で文字数(句数)を限定している。和歌は五句で構成されるが、その半分を超えるとNGなのだ。「プラス3,4字」というのが細かくて素晴らしい。最後に(3)でテーマとの距離を規定する。同じ主題ではダメ。「雑の歌」とは四季・恋・賀・哀傷・旅・別といったテーマ以外の歌をいう。つまりドメインを変えるということ。このズラしが重要となる。
これが閉塞感を打ち破る方法だった。この時代もまたまったく新しいものを生み出そうすると結局古いものに似てしまう、というジレンマに陥っていた。例えばスーパーマリオに感動した人が、それを超えようと、新しいゲームを作ろうとしても、結局はそれを超えられなくなる。スーパーマリオというゲームの影響下にある以上、自分の色を出せば出すほど、創始者の手のひらから出られないのだ。
そこで逆に古いものを模倣することに「開き直る」のが本歌取りだ。まったく新しいものではなく、本歌をリスペクトしたことを明示し、しかし、完全な模倣ではないものを創る。そのときに単なる模倣から脱するようなイノベーションが生まれるはずだ、というのが本歌取りの思想なのである。
これは現代のイノベーションにも通用するだろう。現代でいうと第二次大戦が約70年前なので、それ以前であれば真似していいことになるし、時代の流れが速いため、もう少し短くしても良さそうだ。そして、半分以上をパクってはいけない。2/5くらいに留めるのがよい。さらに、主題はズラす。マリオをゲームではないもので本歌取りしてみる。
この3つのポイントを意識することがイノベーションのヒントになりそうだ。まったく新しいものなど生み出すのは大変だ。ムナーリ(#013)も未知なものは組み合わせられないと言っている。オリジナルという言葉は甚だ怪しいものだからだ。
そうではなく、1世代くらい前のものを、2/5くらいの割合で拝借し、別のドメインで提供する。ズラシの作法とでも呼べる、このイノベーションの方法こそが藤原定家の方法だったのだ。
イノベーションはどう起こすのか?
多くの歌人たちが数百年かけて編み出し、藤原定家が確立したイノベーションの方法がすでに1000年前にあった。こんな方法を具体的に明記していた定家の慧眼はすごい。「優れた歌人は同時に優れた批評家でもあるべきだ」というのは丸谷才一の言葉だ。歴史の中にはまだまだ隠された方法がありそうだ。
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