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私のお財布

私がまだベリベリと耳障りな音を奏でる財布を使っていた小学6年生の頃。今思えば少し背伸びしたのかもしれない。テカテカと光沢がある兄貴の皮財布に憧れていたのかもしれないが、これまでの良い意味でも悪い意味でも”小学生”な財布を新しく買い替えたのがこの財布というわけだ。
さて、すぐにものを壊すことで有名な私だが、この財布だけはどこも壊すことなく4年近く使っている。(最近スマホを壊したことを親に内緒にしているのは極秘情報だ。)
決して高くはない財布だが、私の中では長く使っていることもあって少し愛着が湧いているのと同時に単にお金を入れる入れ物ではなくなってきつつある。
というのも、見てもらえば分かるようになにやら可愛げなストラップがついている。これは、私の友人からいただいた大切なものだ。
チャックを開けると中には、今まで出逢ってきた人たちの名刺が沢山入っている。民宿のおばちゃんや話しかけたら仲良くなった農家のおっちゃん、キウイ農園で働いてたアラブ人の名刺まである。名刺入れを買おうかと迷うこともあるが、私にとってこの財布は単にお金をいれるものではなく、私の成長と共にあるようなものだと思っている。人からいただいた手紙もこの中に入れているし、美術館やミュージカルを見に行ったチケットもカード入れの場所にキチンと収めている。
財布という羊皮紙に人から頂いた”もの”という万年筆で私の生きてきた記録を記しているのかなと上に振っても下に振ってもレシートだけが落ちてくる財布を見上げながら想った。

いつかこの財布を買い替える時には長財布が折り畳みの牛皮になっているかもしれないし、なにやらローマ字が3つ重なり合っているかもしれない。

その時は、”高校生”らしい長財布が少し幼く未熟に見えるのかもしれない。

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